グッバイみすたー⑮

前回の続きです。みすたー最後の日。

 

さて、卒製当日について話す前に、卒製の時に用意したメッセージカードについて触れておこうと思います。前の代の代表が卒製の時、同期メンバーの一人一人に手紙を書いて渡す、という実に感動的な事象がありました。それ自体に私も感銘を受けていたため、自分もやるか~…とは前々から思っていました。さらに卒製が近づくと周りの愉快なOBOGの皆様から「書くよな?」という圧がちょくちょく飛んできていたため、何か手紙を用意する、ということは決めていました。

しかしいざ書く!となると同期以外のメンバーについても書きたい、という思いが出てきます。特に代表引退後の1年ちょっとの間、私は同期より遥かに多くの時間を愉快な後輩の皆様(俗に言うみすたーちるどれんの皆様)と過ごしており、かなり仲良くしていただいていたため、その子たちにも書きたいな…とまずなりました。しかしここで問題となってくるのが、書くメンバーとそうでないメンバーの分別。バイト組のみだと下の代表などが外れますし、家に来たことがなくてもBox等でかなり仲良くさせてもらったメンバーも多いです。思い出深いメンバーで考えると…みんなと思い出があるな…、ということで、じゃあ卒製に来てくれる皆にメッセージ書こう!と思い立ちました。そうしたらOBOGの皆様にも書くことできますからね。これが卒製二日前、遠足前日の晩のことです。今考えると死ぬほど計画性ないな?この頃の私。

 

一人一人にメッセージを書くにわたり、まったく同じ文章は面白くない!ということで、各メンバーに沿った文章を考える必要がありました。幸い私はアホみたいにサークルに顔を出していたため「この人とあんまり絡んだことないから思い出があまりないなあ…」ということにはならず、一つ一つの文章自体は5分ちょい、長くても10分あれば作ることができたのですが、問題はその人数、40人ちょいいるわけで。単純計算考えるのだけで3~4時間ぐらいかかるわけです。「これ間に合わなくないか…?」と危惧していた私は深夜まで作業を進めていった結果、そこそこ寝不足の状態で遠足に臨むことになりました。現地で「今日のみすたーはだいぶ顔が死んでいる」と各所に心配されましたが大体そのせい(あと連日朝から晩までBoxに籠って騒いでいた弊害)だと思います。正直ご飯会はパスしようかな…と思っていたのですが、私以外皆参加!というのも格好悪いので参戦しました。いい気分転換になったし楽しかったので良いこととします。あのメンバーでご飯に行くと美味しいメニューもそうだし良い酒も知ることができるからいいんだよな。

ご飯会も解散し家に帰りついた(ありがたいことに会場が関大前だったので帰宅時間は早めだった)ということで、作ったメッセージをカードに書いていく作業が始まります。しかしこれが大変。小さい紙にぎっしりとメッセージを綴る作業ももちろん大変ですが、準備していたメッセージに文法やら思い出の勘違いやらが散見されたため、いくつか書き直しを迫られることになったのが本当に地獄。最終的に全員分書き終わり、梱包が完成したのは翌朝午前六時。当日集合は当然のごとく朝1だったため僅かな睡眠時間で当日に挑むことになったのでした。

正直最初から疲労困憊の状態で卒製に挑んだわけですが、卒製自体はとっっっっってもいい感じに仕上がりました。作った作品も盛況でしたし(つい最近某二次創作が近々学童訪問で演じられる話、さらに卒製当日のOBOG受けがものすごくよかったという話を某所で聞きました。スーパーウルトラ嬉しかったです)メッセージカードも喜んでもらえたのでよかったです。惜しむらくは卒製当日あまり多くの人と話すことができなかったことです。特に後輩の皆様。運営側の長という役割柄こうなるのも仕方ないわけなのですが、そこが最後の対面というメンバーもいるわけですからメッセージカードを渡して終わり!というだけではなくちゃんと話したかったな…とは思います。ただこうなったらこうなったらで逆に、文章という形でみんなに感謝を伝えることができたのは良かったな…とも思っています。

さらに卒製後本当に体力が尽きてしまったため追いコン二次会参戦を断念せざるを得なかったことも反省点です。嘘か本当か知りませんが私の不参加が決まったことで会自体が流れてしまった、という話を後日聞いたときは心の底から行かなかったことを悔やみましたがあの時点で相当身体にガタが来ていたので行ったところで動けなくなっていただろうし仕方がないと割り切ることとします。

 

なお卒製で作ったものに関してはこちらでまとめております。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

 

 

 

なお卒製翌日ですが、私は何食わぬ顔でBoxで作業をしています。以前より後輩から「使えるプログラム作品とそうでないものを分別してほしい」ということを頼まれていたのですが、卒製作業が多忙を極めたためできていませんでした。卒製の翌々日が卒業式ということで作業できるのはこの日しかない!ということでひとり実行に移しました。最後の最後にすべての出し物と対面していく作業は思っていたより楽しかったです。ただ卒業式前日にもなってBoxの鍵の閉め忘れをやらかすガバをかましたのは本当に土下座案件です。こいつ本当にクソデカ事業直後にやらかすよな…。

卒業式当日も作業は続きます。卒製で作った任用劇の台本製本が未完了だったため、私は印刷のためにBoxとITセンターを往復する羽目になりました。後にも先にも卒業式当日に印刷ポイント買いに行く卒業生なんていないと思うよ?

 

以上卒製関連のあれこれでした。いいですか次世代の皆さん。こういう何か大きな事業を実行に移すときは事前にそれが実現可能かどうか考えるべきです。ぜーーったいに納期直前になって動くことがあってはいけません。どれぐらいの時間がかかるか、どれぐらいの労力がかかるか、ということを事前によーーーーーーーーーーーーーーく考えてから皆で協力して行動してください。分かった?(某注意事項みたいな文章)

 

 

というわけで無事卒業。翌朝ちるどれんの皆様(と無事卒業できたおおぞらぶっとびボーイ)ちWBC準決勝観戦しながら大騒ぎしたのを最後に4年間過ごした我が家ともおさらば。岡山に戻って年度末に同期の皆様のありがたいメッセージの数々を見届けてから(個性豊かでとても面白かった)、LINEグループから離脱したことで、「あかとんぼのみすたー」としての生活はおしまい。

というわけで卒業までいきました。次回総評しておしまいです。

グッバイみすたー⑭

前回の続きです。2023年。卒製のお時間です。

 

さてお正月シーズンも終わり卒論を出し、いよいよ残すところは2月学童と卒製…というわけなのですが、卒製に関してはこの時点で一ミリたりとも動いていませんでした。同期の皆様は揃いも揃って計画性があり、卒論がある者も年末には大体仕上げていた印象があるのですが、よりにもよって座長である私の卒論が一向に終わらなかった(大概怠惰が原因とされる)ため、卒製の話を進めることがろくにできなかったのです。先年度は卒製の第一回幹部打ち合わせを年末に済ませていた、という話を聞いていたので私は少しばかり焦っていました。

本格的に動き出したのは1月下旬。日程調整を基にオンラインミーティングを開き、案出しをしました。そこでは最終的に作成したものはもちろん、「紙芝居用ケースの新調・補充」「謎解きゲームの増産」「各種台本のデータ化」などの案も上がりました。それらを踏まえたうえで後日もう一度オンラインミーティングを開催し、全体の方向性を決めていきました。この辺の会議をすべてオンラインで済ませてしまうところは実に我々らしいな…と思っています。まあ態々このために大学来させるのも申し訳ないし若干一名全国津々浦々していた奴もいるし、なにより時勢的に皆様Zoom会議に慣れきっていましたからね…。

なお元々のメンバー数が少ないのもあって会議参加率はめちゃくちゃ良かったです。某氏に至っては態々タイトなスケジュールの合間を縫って我が家に乱入し、会議に参戦する(なお本人の希望によりなぜか居ないことになっている模様)という意識の高さを見せていましたからね。

 

卒製と並行して、2月は学童や公演といった普通の活動もこなす必要がありました。この頃の私は「行けるものは全部行く」というスタンスを取っていましたので当然のごとくフル活動していました。某土曜の保育園訪問のみ人数調整の結果行けなかったのが心残りですがこればかりは仕方ありません。もう一度会いたかったよ、ジョバンニ‥‥。

2~3月の学童はどこも個性豊かで記憶に深く残っています。あかとんぼの訪問がある!ということを聞いて態々駆けつけてくれた上級生が僕らのチルコンのことを覚えてくれていたことに感動したり、火水木や靴取りひまわりなど、長らくやってなかった外遊びを久々に楽しんだり…。中でも最後に訪問した学童のことは鮮明ですね。プログラム・おやつ・外遊び・帰りの会と学童訪問の要素すべてを楽しむことができましたし、なによりアクシデントにより大幅にプログラムの時間を伸ばす必要があることが判明してから、僅か10分ちょいで完璧な対応をすることができたことは、当時のあかとんぼの集大成といえるでしょう。あの時のメンバー、みんな本当に本当に本当に優秀だったな…。

五児文への訪問も忘れてはいけません。2月3月は節分&カーニバル。特に最後の訪問活動となったカーニバルでは完全に新体制(当時の2回生メイン体制)になったこと、ほぼ1~2回生のみの参加だったことで少しばかり心配でしたが、私が特に何か動くこともなく見事にやり遂げるのを見て、ああこれは来年度以降も安泰だな…。と胸をなでおろしました。

 

 話を卒製に戻します。大体の方向性が決まったのは2月の半ばぐらいなのですが、実際に動き始めたのは下旬となりました。各々バイトやら旅行やら研修やらが重なりに重なったことで、大人数で集まって作業する日程がなかなか調整できなかった&プログラム練習等でBoxがあまり空いていなかったというのが要因です。まあしゃーない。

 とはいえいざ作業を始めてみると皆様優秀なもので、てきぱきと自分の仕事をこなしていきます。私は人形劇の脚本を錬成するのが役割だったのですが中々進まず(大方怠惰が原因である)それなりに迷惑をかけてしまったのが申し訳なく思えてくるほどです。不安視していた進捗もそこそこ見れるものになりました。あとは脚本の完成を待つのみです。…今考えると私がもうちょいまっとうに自分の仕事をこなしていれば納期だいぶ早めることができていたよな…と反省しています。

 

3月の10日頃、卒製まであと1週間といった具合でしょうか。私にはまだ色々やることが残っていました。ほぼ完成した人形劇台本を基に小道具やパペットの製作を進めたり、卒製当日の台本を仕立てたり、参加人数を集計したり追いコンどうするか考えたり…。さらにその当時、私はプライベート周りであまりにも色々なことがあり、心中がだいぶ荒れていた(なお大半は私が引き起こしたことなので自業自得と言える)ため、余計なことを何も考えず作業に熱中すべくBoxに入り浸っていました。その場には私一人しかいなかったため適当に音楽を垂れ流しながら作業していたのですが、とある新曲が私の心を揺らがせます。

曲の名は「Mr.Showtime」。某音ゲーの某推しユニットの新曲なのですが、その歌詞が突き刺さります。特に落ちサビ部分。以下歌詞紹介。

 

語り尽くせない おもいで星を 詰め込んだ風船 銀河を翔てゆく 夢を乗せて

まだ終わらない 終わりたくない それでもいつかは…… その日が来るまで

一層 踊り明かせ 歌い明かせ Stardust Parade果てない夢物語 演じようか、ドリーマーズ!

忘れやしない 嘆きやしない 「別れ」じゃないから 無謀な 愉快な 伝説は (Ah)

破天荒型 Step by Stepではちゃめちゃくちゃの ワンダホーイ! っと綴るのさ

Mr. Showtime

 

あと少しで「あかとんぼのみすたー」としての愉快極まりない生活は終焉を迎えることになるということ、それは逃れたくても逃れられない確定事項です。だからそれまで残る時間、残るすべての力を卒製に、あかとんぼのために注ごう。ひとりぼっちのBoxで半泣きになりながら私はそう決意したのでした。

なおこれはオタクの妄言でかつ前にも言ったと思うのですが、この「Mr.Showtime」という曲、歌詞がまんまあかとんぼのみすたー(と言うか我々の代)を指しているよな…と勝手に思っています。具体的には1番が1回生の頃、2番が2回生、代表就任前までの頃、2番間奏後が代表就任~学童復活まで、落ちサビが卒業直前、といった感じです。

 

なおこの時期になると存在する概念である「卒業旅行」ですが、行きたいよな~という話自体は年が変わる前の時点で出ており、その後も何度か話題にはなったのですが結局日程合わないよな~ということでまとまらず、最終的に卒製前日に皆でエキスポシティに遠足に行く!ということで話が落ち着きました(なおリハーサルの進捗がガバガバだったため遠足当日午前は普通にBoxで作業していた模様)。遠足当日は奇跡的に8人全員が揃う快挙を(因みに8人全員が対面で揃ったのは4年間を通して1年次チルコンリハーサル&本番、そして遠足&卒製当日の合計4日となっています)果たし、それなりに大騒ぎしていました。遠足後のご飯会は事前では行きたい人のみ参加!としていたのですが最終的に全員参戦したのは良かったですね。もしかしてこの学年本当は仲良かったのでは‥‥?と思うなどしました(これまで我が代のことを散々ビジネスライク集団と書き連ねていた代表の発言)

 

思った以上に筆が進んだので今回はここまで。次回卒業までやって、最後に総評で締めます。

グッバイみすたー⑬

お久しぶりです。前回の続き、4年秋学期。ついに学童訪問復活です。

復活第一回目の学童は新規学童。かなり遠いところかつ体験学童(結構多くの人が来てくれましたが結果として定着してはくれませんでした、残念)まであるということで先が思いやられましたが終わってみれば大盛況。やはりあかとんぼの学童訪問はバイトとはまるで違う楽しさがある、ということを再認識しました。

第二回目の学童は私が当番ということで主にプログラム配役で好き放題やりました。ずっとやりたかったあかとんぼレンジャーを(ピロンくんとはいえ)演じることができたのは嬉しかったです。こちらも新規学童ということで子どもたちの反応が不安でしたがこちらも盛況。これなら大丈夫だと安堵しました。

なお、この日は同期の皆様でUSJに行くことになっていました(日程決まったのは学童訪問日程確定が公になるちょい前)が、私は学童があるからとパスしています。大学生のうちにUSJに行ける最後のチャンスといっても過言ではなかった(結果として私は大学生活の四年間で一度もUSJに行くことができませんでした。大体コロナが悪い)ですが、まあ学童と天秤にかけるとなるとこの選択も当然と言えるでしょう。

 

第三回目の学童はバイト先の学童。8月にも訪問経験があったことで、両方参加したメンバーは「子どもたちに名前を憶えてもらえていた」という嬉しい体験をすることができました。

なお後日、バイトメンバーと学童の職員さんとで反省会が行われ、割とボロカスに批評された、といった事案がありました。それを基に緊急の有識者会議(当時の幹部をベースとした、参加率の高い面々が呼ばれました、無論私も招集されています)が開かれ、今後の学童訪問の在り方について議論がなされました。そこで浮き彫りになったのが、学童訪問の参加人数&参加率の問題でした。

学童訪問の参加人数については学童訪問復活時から問題としてあがっていました。毎回中々メンバーが集まらず、当番の皆様が苦労するという話はよく聞いていました。

そもそもコロナ前における学童に参加するメンバーは5・6人がほぼ固定、隔週~月1ぐらいで参加するメンバーが10人ぐらいいて残りが時たま参加、という状態でした。固定、隔週の人達はプログラムの経験も厚く、安定した学童訪問運営ができていました。新メンバーについても、何回かヒラメンバーで学童訪問に参加するなかでその楽しさを覚えてもらい、ゆくゆくは恒常メンバーに定着させる、という手法が効果的に取ることができている、という印象がありました。

1~3回生はまだ学童の「味」を知らない状態。どうにか楽しい体験を積んでもらい、リピーターになっていただきたかったのですがこれが中々上手くいきませんでした。1年生にも学童当番を割り当てた結果(これは仕方のないことであるとは思っています)、学童当番の面倒な部分を最初から知っていること、かつ色んな人にプログラムを経験してほしいということから、初期の初期から学童訪問ビギナーの皆様にプログラムを頼んでいたことで、学童訪問の大変な部分もまっさきに味わわせてしまったことが大きいでしょう。プログラムは好きな人間はいくらでもできますが、そうでないメンバーにとっては負担が大きいもの。これではリピーターも中々できません。さらに1~2年生はコロナ禍によって高校生活を大きく制限されている世代。定期的な課外活動というものに慣れていない部分も大きいように思います。私はいわば部活と同じノリで、毎週当たり前のように学童訪問に参戦し、そのために毎週プログラム練習をするのが当たり前だというトンデモ価値観を持っていましたが、そのような古い考えは現代の新入学生にはもう合わないのだということに気づかされました。まあ人にもよるとは思うのですが…。

もう一つ、団全体の経験値不足というものもこの問題に拍車をかけていました。私が入団した当初は周りの先輩方は皆歴戦の戦士たち、私も初期は「偉大な先輩方に守られている」感覚を抱きながら経験を積み、成長してきたわけですが、この当時は1~3回生がほぼ同じライン。歴戦の戦士が4回生しかいない状態です。我が学年はどいつもこいつも優秀なのでとても頼りにはなりますが、それでも頼りになる人が少ない、という点で「守られている」感覚を抱くのは難しかったのではないか、と思います。子どもたちに対してどのような接し方をすればいいのかわからず不安だし、周りを見渡しても頼りになる先輩が少ない、これでは楽しい味を知ることもなかなかできず、再び学童へ足を向けづらくなる、というのも仕方のないことです。

この問題について私が取れる対応策は一つ。自分が思いっきり他のメンバーを引っ張っていくことです。自分が絶対的な存在として君臨し、後輩をサポートしまくることで、少しでも楽をさせてあげよう、そして学童訪問に対して楽しい思いをしてもらおうということです。そのために必要なことは自分に自信をもつこと。いわば「私こそがあかとんぼのトップスターである!」と思い込むことです。

この意識をもつことは、私にとって大きな転換点になったと考えています。今までは経験者として皆様を導く中でも「これでいいのだろうか、自分が今までに見てきた先輩方のようにできているだろうか」と内心ビクビクしていましたが、その迷いを取っ払ったことで、今までよりもっとエネルギッシュに活動することができました。そしてその結果、今までより明らかに子どもたちの反応も良くなりました。あと明らかに自己肯定感が爆上がりしました。現在の私はあまり余って若干高慢ですらある部分がある、と最近それなりに反省していますが、「自分がスターだと思い込む」作戦、節度を守ればいいこと尽くめなので結構おすすめです。皆も心の中に天馬司を宿すんだ!

 

話を学童に戻します。11月以降はチルコンの影響もあり訪問も少なめ、さらに学童では縁日企画をあかとんぼ訪問に被せてくることもあり、プログラム上演というよりかは子どもたちと一緒に遊ぶほうがメイン。だったように思います。中には大規模学級を相手に外遊びを回したり、かなり多くの参加メンバーを集める必要に駆られたりするなど大変なものもありましたが、優秀な4回生を中心に何とか回すことができました。

12月には先年度の先輩が遺してくれた「謎解きゲーム」をようやくお披露目することができました。(紙芝居の方は春先の公演から散々擦り倒していました)子ども受けがすごくよく、こちらも進行していてとても楽しかったです。進行に物凄いアドリブ力が必要なのである程度ゲーム進行慣れしていることは必須ですが、一度経験しておくとすごく勉強になると思うのでお勧めです。年末には日程の都合上週に二回学童がある、というトンデモスケジュールに対面しましたが、卒論に目途がついたor終わらず現実逃避に来た4回生がやたらいたためどうにかなりました。同期って…凄いんだな…。

 

最後にチルコンのことについても触れておきます。やっていたことの大体は夏場に出したクソデカお気持ち表明(なお今年度の開催が見送られたことで本当に私の自己満足になってしまった模様)に書いているのでそちらをご覧ください。

先年度の反省を生かし、私は先の代表としてメンバー(特に主軸となって動くチルコン委員の皆様)のメンタルケア(というか悩みやら愚痴のやら掃きだめ口)に努めました。その役割を果たすことはある程度できたのではないか、とは考えています(活動にそれなりに言っておきながら1回生と話すことが少なかったのは反省点です。関りが少ない人と自分からコミュニケーションをとるのが苦手というのは最後まで変わりませんでした)。ただどうしても話を聞く専門になってしまっていたところはあり、もう少し適切な対話、アドバイスをすることができれば、チルコンはもちろん、その後の活動においても良い影響を与えることができたのではないか、と反省しています。

 

2022年も終わり、というところで今回はここまで。次回で卒業まで行くはずです。多分。恐らく。きっと。

 

グッバイみすたー⑫

前回の続きです。四回生五月、新体制も軌道に乗ってきました。

 

 さてこの時期、待ちわびていたニュースがようやくやってきます。学童訪問、復活です。

といってもこの段階では吹田市内の正式な学童への訪問は叶わず、小学校外に開かれていた民間の学童からオファーがあったということです。丁度そこで偉大なるOGの方が働かれており、その縁もあって練習も兼ねて訪問にこないか、ということです。やはり持つべきものは偉大なるOBOGとのコネです。

 というわけで学童訪問の開催が決定、当然私も参加…と行きたいところですが私は早々に不参加表明をしています。なんと教育実習と被っていたのです。こればかりは仕方ない。

 さてその学童ですが1~4回生バランス良く訪問が出来た、という話を聞いています。それよりも驚きたまげたことは、その訪問に丁度暇だったOB(私の5個上ということもあり当時のメンバーの誰とも現役被っていません、ただちょくちょく遊びに来てたので我々世代とはそこそこ仲良しでした)が参戦したことです。そこの詳細はよくわかりませんが4年間のあかとんぼ生活の経験を存分に発揮し現役メンバーを導き、さらに社会人の財力でおいしいご飯をごちそうしてくださったとのこと。とんでもない偉人、後世にまで語り継がれるべきです(ごますり)。

また、8月には2回学童訪問をすることができました。一回目は先述した民間学童、そしてもう一つは小学校内にある某学童からのオファーでした。私や後輩たちがアルバイトしているところですね。その頃の某学童は人手不足もあり全アルバイトの約半分があかとんぼ組、言ってしまえば傀儡お得意様なわけです。その縁もあって訪問再開にこぎつけたわけです。

私はもちろん両方参加、プログラムも担当し3年ぶりの対面練習会を堪能しました。アルバイトをしている某学童での訪問ではいつも見ている子どもたちがどんな反応をするかちょっとビビっていましたが、想像を遥かに超える大歓迎。子どもたちも、そして初めて学童訪問を体験しているメンバーも楽しそうなのを眺めながら、ああ本当にこれまでやってきてよかった、と少し感傷的になっていました。

 そしてついにその時が来ます。8月半ば、学童委員LINE(学童委員としての仕事はもうやっていませんでしたが、グループには残り有事の際には助言をしていました)に入ってきたニュースは、今年秋から対面での学童訪問が本格的に復活する、というものでした。ということで訪問の日程を決めたり、それに伴う学童当番を決めたりと学童委員は大忙し。あまりにも大変そうならお手伝いしようかな、などと考えていましたが結局は現役委員が完璧な仕事をしてくれたため(当時のキャップがそれはもう本当に優秀でした)動くことなく終わりました。

 さて復活した水曜定例学童訪問に臨むにあたり、私は二つのことを心に決めていました。一つは全学童に赴くこと。当たり前っちゃ当たり前のことではあるのですが、学童の子どもたちは3年間の間、あかとんぼの訪問を体験していないわけです。1~3年生はあかとんぼのことを「クリスマスの時期にプレゼントを贈ってくれる人たち」ぐらいの認識しかできていないでしょう。4年生にとっては「1年生のときに学童にきて遊んでくれたお兄さんお姉さん」という思い出があります。私は1年次の春秋訪問を通して全ての学童を一通り経験していました。つまり行ったことのある学童には「あかとんぼのみすたーのことを覚えている4年生」がいる可能性がある、というわけです。また、クリスマスプレゼントを贈った際、いくつかの学童からお礼の手紙が届いていたこともありました。中にはあかとんぼの訪問を経験していないにも関わらず(2020年からあかとんぼ管轄になった学童で、コロナが被ったため訪問経験がないということです。もしかしたら以前どこかで書いているかもしれません)お礼をしてくれた恩がある学童もあります。そういう学童には是非訪問して直接お礼が言いたかったのです。とまあ色々考えてみると、復活した学童にすべて訪問する、ということは自明の理であるわけです(別に義務感を持っていたわけではないです)。

 そしてもう一つは「自分が軸にならなければならない」ということです。3年間空いてしまったがゆえに、今までの学童訪問を知っているのは我々4回生だけ。後輩達を引っ張っていく必要があります。毎回参加をする以上、あかとんぼの屋台骨となって皆を導く責任がある、と考えたわけです。しかし私も学童訪問は1回生の時のみの経験。いくら回を稼いでいたとはいえ先輩方に守られながらやっていた事実に変わりはありません。果たして自分に偉大な先輩方のような真似ができるのだろうか‥‥?という不安は少なからずありました。

さて復活した学童訪問ですが、今まで経験してきたものとは少なからず違う部分もありました。特に大きかったのは学童当番が各学年に居たこと。例年は春が2・3回生、秋が1・2回生という形態をとっていましたが、この22秋学童では原則各学年から一人ずつ、合計4人で当番を回す、という形をとっていました。動かし方は指南役となる4回生の性質によってまちまちで、指示だけ出してほぼすべてを下級生にやらせる者もいれば、自分がやっている姿を下級生に見せて、大枠を理解してもらおうという者もいました。私は後者でした。

また、訪問先での行動も結構様変わりしました。やはり全体で集まって何かしらの活動をする、という形態がとれない学童が多く、あかとんぼメンバーが各教室へわかれ、そこでプログラムを行う、という形態がとられました。このことによって多くのメンバーが紙芝居、ゲームを経験することができるという利点がありましたが、致命的な欠陥として「人形劇が全くできない」というものがありました。事実ほぼ毎週学童訪問があったのにも関わらず、人形劇を持っていく機会が2か月弱空く、ということもありました。あとはおやつの時間に話す、ということができなかったり、子どもに触れることが今まで以上に制限されたり…と色々な制約がありました。

なお人形劇が中々できないことについて、文化の継承ができないのではないかという焦りが少なからずありましたが、そこはなんと公演によって解決していました。今までの公演は子どもたちと関わるのがメイン、プログラムと言えば紙芝居やゲームがメインだったのですが、商業施設や関大のイベントに呼ばれた際は、一種のパフォーマンス集団として大々的に人形劇の公演を行っていました。

私はそのような公演の実施については割と懐疑的であり(あかとんぼはあくまで子どもたちのためのサークルであり公演なのだから、活動範囲は学童や児童館ぐらいにとどめるべきである、と考えていました。また我々はプログラムのプロ集団でもありませんから、プログラムオンリーの公演をするのは烏滸がましい、という姿勢をとっていました)実際あまり参加していませんでしたが、それらでプログラムの経験を積んでいく姿を見ると、案外こういうのも悪くないのかなあ…と思うなどしていました。まあそれで対学童が疎かになってしまってはいけないのでバランスが大事なのだろうな、ということです。あと地域でのガチプログラムオンリー公演は、その開催場所的にOBOGが来やすい、ということで実際に何人かお越しになって現役メンバーとの交流を深める、ということができたのも良ポイントです。これについては事前に活動予告をSNSにアップしており、それを見て駆けつけてくれた、という形のようです。やはり持つべきものは偉大なOBOGです(今日そればっかだな)

 

と言うわけで今回はここまで、次回は4年秋。学童&チルコン。

なお現在の予定ではあと3回で完結です、

グッバイみすたー⑪

前回の続きです。代表任期満了。2022年の到来です。

 

年があけてまずやることとしては役職のしっかりとした引継ぎになります。

代表引継ぎ業務ですが大きくまとめて以下のものがありました。

・顧問の教授との顔合わせ

・ボラ団引継ぎ会議

・代表副代表おしごと説明会

 

顧問の先生との顔合わせは例年四月、年度の活動申請を提出するときに行います(活動申請の際に顧問作成書類を受け取りにいくためです)。先年度はコロナで大学対面授業がまた止まったこともありよくわからない時期にやりましたが、22年度は無事4月におこなうことができました。顧問と顔合わせすることなど本当にこれだけなので少しばかり緊張しますが、肝心の面会は数秒で終わることもザラなので大したことはないです。

ボラ団引き継ぎについては年(というか猿山の担当者さんや学生スタッフの手腕)によってそのクオリティが違い、先代→弊代のときは対面で結構しっかりやりましたが弊代→次代の時はオンラインでざっくりとやっていました。対面開催の時は各団体が活動の説明などを担当するため大変そうだった(なおあかとんぼは例年最初のアイスブレイクを担当し「船長さんの命令」をやっていた)のですが、この時はとくに出番はなく、ただオンラインで話を聞いているだけで引継ぎが終わりました。というかあの会僕出席しなくてもよかったよな…?

最後に代表副代表おしごと説明会。我々は資料を簡単につくった(というかほぼ去年のやつを横流しした)うえでLINE通話で説明しながら引き継ぎ、という手法をとりました。話自体はオンラインで片付くのでいいですが旧幹部と新幹部の密な関係を構成するなら対面、BOXでやってその後ごはん食べにいくってぐらいが資料もあるしで丁度いいと思います。

代表引継ぎ、割とあっさりめにやったような気がします。やろうと思えばしっかりとした資料を作ることもできた(なお次代は本当にしっかりとした資料を作ったらしい、やはり代表というものは偉人である)のですが大したことやってないしコロナ禍明けたらまた体制がらっと変わるしでそこまでする必要もないかな…と思っていたからです。なによりその時点で新幹部とはやたら仲良しになっていましたからね。何かあったら聞いてくれるだろうしその時に個別で答えればいいや、と思っていました。実際ちょくちょく相談事には乗っていました。

先の記事でも述べましたが、前年末から私は後輩たちとの関わりを増やそうと躍起になっていました。初期の頃は割と頑張って話しかけていましたが、予想を遥かに超える懐かれようであり(某学童バイト等で後輩に会う機会がめちゃくちゃ多かったのが要因のような気がします)、この頃には義務感もすっかり消え自然に楽しく大騒ぎしていました。俗に言うみすたーちるどれんはこの時期には既に成立していたと言えるでしょう。

 

というわけで本格的に新体制になったというわけなのですが、私は自身の身の振り方を今一度考えなおす必要があるな、と考えました。それまでは代表ということもあり、好き放題前面に出て大騒ぎしていたのですがこれからは先代表として新体制を支える立場、あまり前面に出ない方が健全なサークル運営のためにはいいだろうな、と思っていたからです。それはそれとして活動に行かない、という観念は一ミリも持ち合わせていなかったので、「いつも活動にいて、とはいえ前に立つこともない最強の数合わせ要員」というのを理想として、活動に取り組もうとしていました。この当初は。

しかしその理想は、あまりにも早く夢物語であることに気づかされることになります。3月初旬、2年ぶりに復活したあかとんぼカーニバル(節分は人数制限のため行けなかった)。出しゃばらないように後方から写真撮影に徹しようとした私が目撃したのは、どうしていいか分からず自分から動けないでいる下級生と、それにイラつく上回生の姿でした。実際その時の反省会は結構辛辣な意見が飛び交いました。

 よく考えたらこれまた当然のことです。いくらチルコンを乗り越えたとはいえ、外部での対面活動は経験がない1・2回生。新体制になろうが委員になろうが、経験値でいうと一回生の最初の時期となんら変わりないわけです。一方上回生は豊富な経験がしっかりと残っており、さらに偉大なる先人の姿を見てきたことから「各種公演では一人一人がこんな感じに動くんだ」というものを割と一般常識なものとして捉えてきた(これについては私もその傾向がありました)ため、言ってしまえば「当たり前のことができない」ことに対して不快に思うのも仕方ありません。特にもうすぐ団を去ることになる4回生からすれば、自分たちが居なくなった後大丈夫か、とこの後の団全体について心配してもおかしくない、そんな状態でした。

 これはかなりまずいことになるかもしれない、と思いました。下級生は経験がない状態。これは誰が悪いわけでもないし仕方のないことです。とはいえ前面に立たせるのは流石に荷が重すぎるため、当面は上回生が主軸として動いていって、下級生に「こうあるべき姿」を見て会得させていく必要があります。

この時点では卒論をも終え本当に自由になった当時の4回生がいるとはいえ、彼らの卒業も秒読み段階。そこから先は弊代が唯一の「コロナ前の活動を知っている代」として、下級生たちを引っ張っていく必要があります。しかし我々もこの時期は絶賛就活真っ最中。動けと言われても中々難しいわけです。思い返せば私があかとんぼに入団した4月当初も、4回生はほぼほぼおらず、2回生3回生が主軸となって活動していました。つまりこの先春になった際、「引っ張っていけるだけの経験組がまったく存在しないうえでの活動」がおこる可能性があるわけです。

 この件における私がとれる解決策はただ一つ。主戦として活動に参加しまくることです。幸い私は教職勢、教育実習&試験こそ控えますが、全国津々浦々を練り歩き就活に勤しむわけでもありません。勉強や準備もありますがそんなものは活動時間外にやればいいだけのことです。そして私は(五児文こそ経験が薄いですが)1回生の時しっかり活動に参加し、模範となる先人の姿を目に焼き付けています。長らく続いているあかとんぼの伝統を後輩たちに伝えるために、そして各種訪問・公演の復活を待ちわびる子どもたちのために、ここから先の活動、特に弊代の参加者が見込めない際はなんとしてでも参加するようにしよう、そしてしっかり前に立って他のメンバーを導ける存在であろう、と考えを改めたのでした。まあそんなこと考えなくても活動にはほぼほぼ参加していたとは思いますが…。

 

 身の振り方を考え直したところで取り敢えずは血の入れ替え、卒製&新歓です。卒製においては私もお客様ということで、贈呈花関連でちょっと働いたこと以外は特に何もせず普通に楽しみました。求められた時のために送辞は一応したためておきましたが時間がなかったため世に出ることはなく終わってしまいました。残念。

 そして新歓。新歓実行委員(結局はサルによる烏合の衆)主催の合同新歓は参加ませんでしたが(例のメディア錬成団体が新歓で人員確保しないと団消滅の危機だったためそちらに行きました)、独自の花見新歓(なお時期的にまったく花見にはならなかった)、そして確定新歓にはしっかり参加しました。確定新歓では久しぶりに名付け親になったり(3回生の時は総合司会で忙しかったためか名付け親になることはありませんでした)、花見新歓では唯一の4回生としてやたら多かった新入生男子連中と戯れたりと中々楽しく過ごせました。特にここ数年は男子の獲得状況が芳しくない状態が続いていたので嬉しかったですね。

結果としてあの年は入団数が20を超えるというとんでもない快挙を成し遂げました。新歓等の手際も良かったため、「新幹部…さてはすごく優秀だな…?」といたく感動した記憶があります。ひとりひとりが絶妙に異なる信念を持ち、勝手に働きまくって結果を残していた弊代と違い、新幹部は幹部一同でものごとを考え、動くという特徴がありました。議論を重ねものごとを決めていったことで、道を踏み外すことなくしっかりと足元を固めていってくれたように見えました。

 

というわけで今回はここまで。次回は4年夏~秋、学童復活です。

近況報告23秋

毎度おなじみ自分用近況報告です。

 

①労働&勉学編

 

特に可もなく不可もなく労働しています。最近は毎週のようにクソデカ事業があり、なかには絶妙に中枢を担うものもあるので割とエネルギッシュに過ごせているなーとは思います。暇すぎて業務中にブログ書く、ということもなく、かといって残業するほどでもないので丁度いいといえるでしょう。すばらしいホワイト企業と言えます。

また、そろそろ翌年度どうするかの決断を迫られているのでどうしようかなあ…と思っています。大阪府くん仕事がほんの少しほど遅いのよ…。

業務の一環というわけではないですが漢字検定2級を先日個人で受験しました。楽勝と言うわけではないですが絶望と言うわけでもないというのが感想です。漢検対策、四字熟語などはもちろんですが書き取りなどにおいても知らない言葉がちょくちょく出てきたりするので手っ取り早く教養を深めるのにお勧めですよ。

 

② ゲーム編

久々に本業、ポケモンの熱が帰ってきました。やっぱりDLCの存在はありがたいものです。まーるで勝てていない(勝敗差+10~15のところを永遠にいったりきたりしています、勝負を重ねるたびにだんだん勝率が下がっていくので心が壊れています)ので誰か助けてください。あと努力値餅もうちょっと手に入るようにして?

ここから先の季節はやりたいゲームが多くあるので困っています。私は大のDQ4大好き人間なのでモンスターズ3はやる義務がありますし(体験版で初めてDQMに触れました、これつまりポケモンだな?)、マリオRPGもぜひやりたい、そんなこと言っていたらポケモンのDLC第二弾がやってくる…ということでたいへんです。まあ全部やるんですけどね。

偉大なお兄様たちとも色々遊んでいます。先日は結構な大人数でMinecraftのエンドラ討伐RTAごっこをしたのが楽しかったです(学童の終わりの会並の感想)。相変わらずアクションが苦手なので武勲面ではカスもいいところですが内政面ではそれなりに活躍することができました。なんとなーく効率良い動き方も理解できたような気がするので機会あればまた誘ってください。相変わらず農業と交易と拠点整備ばっかりやってると思いますが…。

 

スマホゲーは相変わらずプロセカメイン。夏頃は豪運でしたがそれもいよいよ尽きてきました。そろそろ推しの限定が出てくるということになっておりますので戦々恐々としています。機種変(後述)したため他のゲームもやろうと思えばやれるのですがいかんせん時間が足りないんですよね…。(大体ポケモンが悪い)

あとポケモンスリープも真面目にすやすやしています。当初は睡眠記録オンリーでやってたのですがいざやりこんでみると楽しいですね。当面は第二進化ポケモンを入手することを目標としてやっています。あとヒノアラシほしい。

そういえば夏に人狼企画があったような気がしますが雲散霧消していますね。そろそろやりたいのでそのうち勝手に企画をおっぱじめる可能性はあります。この先のみすたーさんに期待しましょう(叶わなそうな思い)

 

③その他諸々

有識者兄貴の助けを借りながらスマホを買い換えました。Iphone15です。今まで使ったのが10Rだったこともありだいぶ快適になりました。今まで某音ゲーでマルチやってたら軽量モードだろうがカクついてそのたびにコンボが途切れていたのですが、今ではMV流しながらでも快適にプレイできています。かがくのちからって、すげー!

 

・色んな所に誘われてそれにホイホイ乗った結果、今年中に少なくとも三回京阪神に行くことになっています。対戦よろしくお願いします。どのイベントも相当楽しみなのですが、特に年末に行く初音ミクシンフォニーは今までにない試みなためわくわくしています。よく考えたら僕生のオーケストラのコンサートには赴いたことがなかったんですよね…。

 

・夏休みは暇だったのでブログ書きまくっていましたがそうもいかなくなったので執筆頻度がまあまあ下がっています。グッバイみすたーは今年中に(なんなら次の幹部交代までに)書き上げたいという願望はあるのですがまあまあ厳しいような気がします。

なお内容について某所にあらぬ疑いを生ませてしまった、と言う話を聞いております。次回釈明します。

 

・先日ようやくブログ化された某企画ですが、第二弾の実施の可能性が微粒子レベルで存在するようです。GMによると「どれだけ早くても来年度」ということです。参加者が集まるかどうかは知らん。

 

・今期は久々にリアルタイムでアニメを見ています。「薬屋のひとりごと」です。履修は全国民の義務とされていますので皆様是非原作ネット小説、文庫本小説、漫画二種とともにご覧ください(意味不明だが本当に色んなコンテンツが展開されているのである)。

 

・余裕のあるうちに資産運用に手を出そうかな…などと考えています。正直わけがわかっていない部分が多すぎるので有識者いましたら助けてください(土下座姿勢)

 

今回は以上です。自分の行いを言語化すると良い振り返りになるのでいいですね。

四国全土で鬼ごっこ GM視点

半年前の3月某日、卒業式を無事終え、Boxに別れを告げた3人の馬鹿(+α)は、契約満了を間近に控えたみすたー邸で最後の晩餐を楽しんでいました。

酒をキメながら鉄道Youtuberである西園寺氏の動画を見ていた馬鹿共は思い立ちます。

「大学最後にこれやるか?」

「いいんじゃない?」

「やろう」

 

ということで、西園寺氏の名物企画「日本全土で鬼ごっこ」を模した、大学生活最後の旅行企画が始まったのでした。

 

四国使って鬼ごっこ GM視点

 

登場人物

逃走者:✈ 皆様ご存じ乗り物オタク(種族的には多分撮り鉄)のおおぞらぶっとびボーイ。四国へはチルコン練習をサボる口実とするなど息を吐くように通っており、神戸高松間のフェリーをn個目の別荘のように使い倒している。どうやら鉄道界隈で鬼ごっこは経験済らしい。逃走者となり四国を逃げ回る。

全国の主要幹線の駅名は大体言えるほか、飛んでいる飛行機を見てどこからどこへ向かっているのか大概当てることができる。

追跡者:🍵 悪友の影響で鉄道色に染まってしまった悲しき芦屋のボンボン。行動力の鬼。一時期JR四国の沼に落ちていた経験があるが、なにせ経歴が足りないので知識等は三人の中で一番ポンコツ(多分)。追跡者として旅行のプロを追いかける。

長崎新幹線開業の際、金を惜しまず長崎に行ったのにも関わらず一番列車を現地に見に行かなかったらしい(詳しいことは彼自身がブログを書いている…が過去のツイートだけで事足りるため特に読む必要はない)。

GM:🎩 わたくし。同期のレベルが高すぎるので霞んで見えるが実は大概鉄道バカ(時刻表鉄)だったりする。生まれが四国であり本家から予讃線が見えること、幼少期に祖母から貰った時刻表を読んで過ごしてきたことで四国の鉄道に関する知識量は✈に引けを取らないものがある(と勝手に思っている。)ゲームマスターとして岡山から二人を翻弄する。

幼い頃、JR四国のスタンプラリーの景品(抽選制)を総本家のコネでスタンプを集めることなく全部手に入れたことがある。

 

ごっこ 超大まかなルール

 

・追跡者が逃走者を捕まえることができれば勝ち。

・移動手段は交通公共機関のみ。タクシーは禁止。歩くのは可。

・時折ミッションが逃走者にのみ発令される。クリアしないととても不利になる。

・30分ごとに逃走者、追跡者の位置情報が共有される。

 

企画 数日前

 

大まかなルールが発表されました。

・期間は一日のみ。

・松山スタート、坂出あたりでフィニッシュ。夕方には終わることができるように。

 

‥‥難しいな!!!

元々三日間の旅(わたくしは仕事の関係上パス)だったのがちゃんと四国を旅行したい!ということで1・2日目は普通に四国観光、三日目のみが鬼ごっこになってしまいました。計画一から練り直しです。

当初企画では「逃走者高松スタート、追跡者岡山スタート」で同時時間に動き始める、という案を考えていましたがあえなく没になりました。クソです。

 

さらに松山のあたりはいろんな乗り物があって楽しいのですが香川方面の移動となると予讃線ほぼ一択(高速バスもあるにはあるけども)、特急電車だと1時間に1本のみ!ということで調整入れないとゲームとして破綻するじゃん…という点がまず気になりました。そのうえ予讃線で東に下ったとしても多度津まで一本線、さらに本数も少ないため、途中下車となると逃げるのも追いかけるのも難しい、という問題もあります。

「どうやって多度津までの行程を充実かつゲーム性のあるものにするか」

これが私に課された最大の課題となったのでした。

何も手を加えない状態だとほぼほぼ松山から多度津までかっとばすことになるだろうな…と思っていました。普通電車も一時間に一本ほどしかなく、位置情報開示の観点から活用もかなり難しい、特に普通電車を使って途中下車をした場合下手をすればそこから1時間弱待ちぼうけ、というわけですから使わせるには一定の救済措置を用意する必要があります。また、私が愛媛東部出身の人間ということもあり、地元をうまいこと活用したい!という思いもありました。

 

というわけで最終的に策定したルールはこちら。

 

最終的なルール

・追跡者は逃走者の移動開始10分後に追跡を開始する。

・フィールドは四国本島のみ。しまなみ海道や岡山、小豆島への渡航などは禁止。

・逃走者は2回までタクシーを使用可能。ただし、乗車場所は、多度津以西のJR駅とし、降車場所は乗車駅から三駅以内のJR駅入り口とする(例:松山駅から乗車した場合、堀江~南伊予の各駅まで乗ることができる)。

・タクシー乗車の際はGMにその旨を伝える必要がある。GMはタクシー使用と乗車駅を全体に告知する。

・追跡者はGMによるタクシー使用の連絡が来次第、逃走者と同じ回数タクシーを使用可能。使用ルールは逃走者と同一とする。

 

全体ミッション、アンパンマンスタンプラリー

逃走者、追跡者は駅、電車内、施設にあるスタンプラリーに参加する。

相手より3つ以上のスタンプを押している状態で30分以上経過した場合、無条件でその者の勝利とする。

スタンプを押した際はGMにその旨を写真付きで送ること。30分毎の位置情報公開の際に、各々がスタンプを押した回数が公開される。

 

まずフィールドについて。本四備讃線宇野線で岡山まで行けるようにしようかな…?と思っていましたが四国鬼ごっこということで今回は没。あの辺は電車の数がそれなりにあって面白いので入れておいても良かったかもしれません。

タクシーの利用については一本道となる多度津以西の救済措置として、普通電車を不利なく使えるように、という意図で作りました。あくまでも鉄道の代替、ということで使用制限は割と厳しめにすることにしました。

なお、鉄道の利用に関しては逃走者、追跡者ともども乗り放題きっぷを持っていたのでどれだけ乗ろうが料金はかかりませんが、タクシー乗車には当然金がかかります。使用するとなると当然自腹をきることになります。

アンパンマンスタンプラリーは四国を走り回る必需品ということで採用。主要駅や鉄道関連施設、また四国を走るアンパンマン列車の中に設置してあります。スタンプを押すには一度電車から降りる必要がある(降りて押してまた乗って…ということも駅によっては可能)ということ、また問題となっていた多度津~松山間にスタンプが相当散りばめられているのも高ポイント。どちらかのみがスタンプを集めると勝敗が決してしまうため二人ともどこかで降り立ってスタンプを押しに行く必要があります。

なお3スタンプ差後30分以内、というルールですが1時間以内でよかったのではと思っています。大都会ならまだしもそう高頻度で乗り物が動いていない四国では30分あっても望みの場所に行けないどころか現在地から動けない、ということもままありますからね。

 

なお位置情報の確認ですが、Googleアカウントの紐づけにより私だけ常時位置情報を把握できる状態にして、30分に一度全体に共有する、という手法をとりました。設定するのがまあ面倒だったのでゼンリーでもいれときゃよかった、と少しばかり後悔しましたが、まあ進行に支障はなかったのでよいことにします。

 

当日 7:30 逃走者移動開始。と同時に逃走者ミッション発令。

【ミッション1:一六タルトを購入せよ!】

内容:畑田本舗(店は問わない)に入店し、ハタダ栗タルトを購入する。

成功条件:10:00までに畑田本舗の写真、栗タルト購入時のレシートの写真をGMに送付する。

失敗時ペナルティ:追跡者にスタンプボーナス+1、ミッション2に関する研究情報が公開される。

 

愛媛の銘菓、ハタダの一六タルトにまつわるミッションです。

一六タルト、皆さんが思い描くタルトとはなにもかも違いますが愛媛県民にとってのタルトはこれです。和洋折衷で絶妙な甘さが美味しいんだこれが。

 

畑田本舗自体は愛媛県内なら割と色々なところにありますのでどこかに行って買ってきてね、というものです。なお畑田本舗は一律9時開店なためそれまでどこかしらで時間を潰す必要ある、というのがミソです。

 

7:40 追跡者移動開始。

なお二人ともスタート場所は松山市道後温泉近くのビジネスホテルということでした。最初は松山の路面電車に乗って動くことになります。

 

8:00 位置情報公開

✈:JR松山駅

🍵:路面電車 勝山町停留所近く

 

どうやら🍵は路面電車を使わず徒歩で動いていたようです、さらに道に迷っていたらしい。アホかな?

 

時を同じくして✈から通信が入ります。松山駅にあるスタンプを押した、という報告。それはいいのですが…

 

✈:アンパンマン列車検査で今日走ってないやん

🎩:は?

 

アンパンマン列車は走る時間が決まっており、松山8時発の特急しおかぜ&いしづちが該当しているはずでした。しかし当日は運悪く、アンパンマン列車が検査により走っておらず、代わりの電車が走ることになっていたのでした。(電車の営業的には一切問題なし)

アンパンマン列車の車内にはスタンプが設置しており、当然スタンプラリーの対象に入るのですが、代わりの電車にはスタンプなど搭載しているはずがありません。押せるはずのスタンプが押せないじゃん!ということです。

とはいえ本来であれば押すことができる、ということなので車掌に検印を押してもらうことで代替としてもよい、という判断を下しました。

 

クソデカスタンプ帳にミニマム検印、滑稽ですね。

見事に二つ目のスタンプを手に入れた✈はそのまま特急しおかぜに乗車東を目指します。

正直申し上げてこれは予想外でした。駅からのアクセスや便数を考えると、畑田のミッションは確実に松山市内でこなされるだろうな…と踏んでいた(というかそのためにこのミッション作った)ため、✈が即特急に乗って東を目指すとは思っていませんでした。そして✈が特急に乗車したことで、私はある致命的な欠陥に気づきます。

 

「これ…あと1時間でゲーム終わるぞ…?」

 

現在スタンプの数は逃走者2、追跡者0。スタンプ3個差になって30分経つとゲーム終了ですから追跡者はスタンプを集めて回る必要があります。しかし松山で押せるスタンプは松山駅の一つのみ。アンパンマン列車(であったはずの電車)は既に松山を出ているわけですから、

さらに✈を乗せた電車が向かう先には「伊予西条」という駅があります。ここにはスタンプが設置されているほか、駅のすぐ近くに鉄道博物館があり、そこにもスタンプがあります。いわば一つの駅に二つスタンプが置かれている、といっても過言ではないわけです。

このまま✈が伊予西条で降り、二つのスタンプを押すことになると🍵が松山駅のスタンプを押したとしても差は3つ。さらにそこから30分以内にスタンプを押すことができるかというと…答えは否。つまり、✈が伊予西条でスタンプを押した瞬間、彼の勝ちが決まってしまうのです。

焦った私はスタンプラリーの適用期間を10:30以降にすることでゲームを成立させました。この時間であれば🍵も二つ以上スタンプを押すことができるだろう、と考えたからです。

なお、この問題についてはよく考えたらスタート前に思いつけることであり、先に解決をしておくべき問題であったと反省しています。

 

8:30 位置情報公開

✈:伊予北条手前、スタンプ2

🍵:松山駅近く、スタンプ0

 

どうやら特急しおかぜは何らかのトラブルにより発車が10分ほど遅れたようです。これ、🍵が真面目に路面電車で動いていたら間に合っていた可能性があったわけです。実にもったいない。

 

9:00 位置情報公開

✈:壬生川駅手前、スタンプ2

🍵:松山駅内:スタンプ1

 

特急が一時間に一本の運行のため🍵は足止め。その間にも✈はどんどん旅路を急ぎます。

 

9:15 逃走者より畑田本舗とタルトの写真を受信。ミッション達成です。

どうやら彼は壬生川駅近くにある店を選んだようです。東で買うなら今治か壬生川かなあ…と思っていたのである程度想定通り。

 

9:30 位置情報公開

✈:玉之江駅周辺、スタンプ2

🍵:伊予北条~大浦間、スタンプ1

 

✈は壬生川9:25発の伊予西条行き普通電車に乗って東へ。🍵も特急しおかぜに無事乗車。

 

10:00 位置情報公開&ミッション発令

✈:新居浜駅 スタンプ3

🍵:今治駅周辺 スタンプ1

 

✈は終点伊予西条で下車後、スタンプを押して次の普通電車に乗り、二つ隣の新居浜へ。

🍵は変わらず特急乗車中。

 

【ミッション2:二車種以上の写真を撮れ!】

内容:松山駅多度津駅を除く駅のホーム上から二種類以上のJRの列車の写真を撮影する。この行程を2回行う。

詳細

・必ずホーム上で撮影すること。車内からの撮影は不可。

・撮影対象の停車、通過などは問わない。

・8000系特急と8000アンパンマン列車は同一種として扱う。

 

今回の目玉ミッションです。JR予讃線は基本的に単線なため、電車同士の行き違いは駅構内のみで発生します。それを写真に撮って送れ、というのが今回のミッションです。逃走者はどの駅で行き違いが行われるかを見極め、駅に赴き写真を撮る必要があります。

 

ホーム上からの撮影と限定したのは「特急に乗りながら撮影を終える」ということを防ぐためです。これだと移動しているだけで達成できますからね。

また、同一車種の撮影は今回認めていません。予讃線には「伊予三島」という駅があり(なおこの駅はわたくしの故郷の最寄である)、特急同士の行き違いが1時間に一度見られるお得な駅になっています。歴戦の有識者である✈はこのことぐらい知っているはずであり、縛っておかないと確実に伊予三島で写真を撮ろうとするだろう、ということでこのような文言となっています。

…なお、10時代と11時代において、伊予三島で入れ違う特急は8000系と8600系、つまり別車種でありますので写真自体はここで1セット撮影することができます。つまりこの文言、ただのブラフに過ぎないのです。

 

成功条件

14:00までに撮影した写真をGMに送付する。

失敗時ペナルティ

追跡者にスタンプ+1

 

10:10 ✈ ミッション2の写真送付

 

運がよかった。彼が乗っていた普通電車がちょうど多喜浜駅新居浜の一つ隣)で特急と入れ違いを行ったため、その写真を撮影することが出来ました。ミッション2までは事前に考えており、特に調整せず打ったため音速でのミッション進行になりました。「この行程2回やってね」と書いておいてよかった、と胸をなでおろしました。

 

10:30 位置情報公開

✈:伊予寒川伊予三島間 スタンプ4

🍵:伊予西条駅 スタンプ3

 

✈は新居浜でスタンプを押したのち、乗っていた普通電車で東へ。🍵は伊予西条で下車し、駅と鉄博のスタンプを押します。

新居浜で✈がスタンプを押した時点で差が3つ。🍵はどこかでスタンプを稼がないといけないわけです。これがなければ🍵は特急に乗車したまま、全力で✈を追っていたでしょう。

…とはいえ、伊予西条新居浜も、特急の停車中に押すことができる位置にスタンプが設置してありますから、🍵は短時間でスタンプを確保し特急に乗りなおすことで、スタンプ差を埋めながら✈を猛追することが理論上可能だったわけです。ここに関しては素直に経験の差が出ているな…と思っていました、

 

11:00 位置情報公開

✈:観音寺駅 スタンプ4

🍵:新居浜~多喜浜間 スタンプ4

 

✈は相変わらず普通電車の旅。観音寺駅で後ろからやってきた特急電車(さっきまで🍵が乗っていたやつ)と普通電車の写真を撮ることでミッションコンプリート。そのまま特急乗車。

🍵は普通電車に乗って東へ。鉄博、西条、新居浜とスタンプを押して回ることで✈のスタンプ数に追いつきました。

 

11:10 ミッション3発令

【ミッション3:高松市でうどんを食え!】

成功条件:14:00までに高松市にあるうどん屋とうどんの写真を撮りGMに送付

失敗時ペナルティ:追跡者スタンプ+2、GMが追跡者側として参戦する。

 

要するに「高松に行け!」というミッションです。逃走者、追跡者ともに明確な目的地を設定することで、相手の動きを読みながら動く、ということを目指すミッションです。

 

GM参戦!という恐ろしい文言もあります。私はゴール地点の坂出に赴き、うどんを食べながらプレイヤーをねぎらおうと思っていたのですが、どうせ行くなら、ということでこのようなことを書いたのでした。まあミッション自体が簡単なため僕が参戦することはないだろうな…とは思っていました。

 

 

 

11:30 位置情報公開

✈:宇多津駅 スタンプ4

🍵:伊予三島駅 スタンプ4

 

お互いに乗っている電車で東へ。鬼ごっこと思えないのんびりした旅ですね。

 

12:00 位置情報公開 

✈:高松駅 スタンプ4

🍵:川之江箕浦間 スタンプ4

 

✈はついに高松へ到達。

🍵は伊予三島川之江で普通電車から特急電車へと乗り換えたようです。

 

その後✈からうどんの写真が送られてきてミッションコンプリート。てっきり高松駅うどん屋で食べているかと思いましたが外へ出たようです。

 

12:30 位置情報公開

✈:高松市 高松城址南 スタンプ4

🍵:多度津駅 スタンプ5

 

✈はうどん堪能中。🍵は多度津で特急から下車しスタンプゲット。

 

13:00 位置情報公開&ミッション4発令

✈:香西駅付近 スタンプ5

🍵:端岡駅付近 スタンプ5

 

【ミッション4:海抜/標高100mを達成せよ】

成功条件:15:30までに海抜/標高100m地点に到達すること。建物の中も可。

失敗時ペナルティ:追跡者スタンプ+3

 

二人の距離が一気に縮まります。🍵は坂出でマリンライナーに乗換え高松を目指していました。この数分後、二人が乗っていた電車は行き違うことになります。

これ、もし🍵がそのまま普通電車に乗っていたら相当な山場だったと思います。今回は坂出高松間ノンストップのマリンライナーだったため捕まえることはできませんでしたが、普通電車のままであれば位置情報確認後、戻るか、待ち構えるかの択に持ち込めたわけですからね。

 

そして新たなミッション。高いところに行けというバカみたいなお題です。お題の解答としては

高松市内の高層タワー

・宇多津にある高層タワー、並びに駅の近くにある小高い山の展望台

土讃線箸蔵

が想定されていました。絶妙に三つ場所が違うのでそれぞれの位置によって目的地が変わってくる、いい出題になったのではと思います。

 

✈ マンション不法侵入あり?

🎩 法に触れないのであればなんでもOK

✈ 住居侵入ですね…

 

13:30 位置情報公開

✈:宇多津駅 スタンプ5

🍵:坂出駅ちょい東 スタンプ6

 

✈は普通電車に乗り続け宇多津へ。🍵は高松到着後スタンプを押し、マリンライナーで即引き返したようです。ちなみにこの時私は坂出に到着し、🍵と一時合流しました。

この後私と🍵は一駅となりの宇多津へ移動します。そこにはなんと反対側の電車に乗り込もうとする✈の姿が!万事休す、と思いましたが当の🍵がそれに気づくことがなかったため何も起きませんでした。私は中立的立場であるため特に何かアプローチをするわけにもいきません。

私はそのまま宇多津で下車、徒歩15分ぐらいのところにあるうどんの名店に向かいます。何も知らない🍵はそのまま電車で西へ向かいました。✈は特急に乗って再度東へ。

実に惜しい。

 

🎩 いしづちに乗りながら対向電車の様子を確認する不審者を目撃したぞ

✈ どこにいたんだよ…。

🎩 気づいてなかったのかよ

 

14:00 位置情報公開

✈:高松 シンボルタワー付近 スタンプ5

🍵:讃岐塩屋駅付近 スタンプ7

 

✈は無事法を犯すことなくシンボルタワーに登頂&ミッション達成。🍵は土讃線アンパンマン列車を見つけスタンプを稼ぎます。

うどん屋の列に並んでいたわたしはこのスタンプをみてぶったまげました。というのも私は土讃線アンパンマン列車の運行予定をきちんと把握していなかった(予讃線アンパンマン列車の基本運用がここ20年ほぼ変わっていなかったので土讃線についてもそうだと思っていた)ため、この企画に土讃線アンパンマン列車が絡むことを想定していなかったからです。この時点でスタンプ差は2つ。やりようによってはスタンプ勝ちもあるわけです。

 

14:30 位置情報公開&ミッション発令

✈:高松~香西間 スタンプ5

🍵:坂出駅 スタンプ7

 

✈は普通電車に乗って西を目指します。🍵は坂出へ。このあたりは双方割とゆったりでしたね。

 

【ミッション5:名物かまどを入手せよ】

成功条件:16:00までに名物かまどの店舗と、購入物の写真をGMに送付する。

失敗時ペナルティ:無条件敗北

 

岡山県民はCMでお馴染み、香川の銘菓名物かまど(本当にそういう名前である)を店で買え、というお題になります。店数が割と少なく、一番アクセスがいいのが目的地となる坂出、ということで参加者共を集める意図で作りました。

なお同様のお題を一六タルトで出したこと、さらに両方和菓子ということで土産が被る、という指摘を✈から受けました。それはその通りだと少し反省しましたが、その後名物かまどが✈界隈で人気を博した、ということだったのでよいことにします。

 

15:00 位置情報公開

✈ 香西駅

🍵 琴平駅

 

✈は香西で即下車。ちょっと歩いているところにある名物かまど(店自体もそういう名前である)でミッション達成。🍵は東に赴くかと思いましたがなぜか西へ。その理由はすぐにわかります。

 

15:01🍵、琴平駅でスタンプゲット。差が三つに。

 

あっ…。

 

15:05 逃走者 降参

 

✈は残り30分でスタンプを押すことができない、ということで降参。

この勝負、追跡者🍵の勝ちになりました。

 

その後坂出で全員合流。一同反省会をかましながら岡山へ向かい、なぜかぶっかけふるいちをキメて解散となったのでした。

 

以下GM視点総評。

まさかスタンプで本当に勝敗が決まるとは思っていませんでした。鬼ごっこ単品だけでは流石に盛り上がりにかけるか…?というところで採用したこのルールですが、いざそれで勝敗が決まるとなると、というところではありました。最後に至ってはスタンプを押すがために逃走者から意図的に離れる、というところもありましたからね。

あと先述しましたがスタンプ3差からの時間制限30分は四国という範囲においてはキツすぎましたね。ここは確実に調整が必要でした。制限60分でも結構厳しかったと思いますので、3つ差になったら常時位置情報公開ぐらいにした方がよかったように思います。

また、全体ミッションを通してまったく逃走者側にメリットがない、というのは不満を買いました。これに関しては企画段階で✈と🍵の力の差を鑑みたうえで考案したものになりますが、どうしても✈側にメリットがなさすぎるというのは面白味がありませんでした。現状のミッションはそのままに、結構きつめのプラスアルファ(例:畑田二店舗訪問等)で✈に恩恵を与えてもよかったな…と思います。

 

まあなんにせよ結構楽しめた企画にはなったのではと思います。初めてのGM、さらに四国という絶妙な地理ということもあり色々難しいこともありましたが、トンチキ大学生活の最後を飾るイベントとしてはよかったのではないかと思っています。

次があるならまたGMやりたいですね。今度はもうちょっと範囲狭め&交通量の多い場所がいいですね。大阪市内限定とかどうよ。

 

 

では今回はこの辺で。