グッバイみすたー⑩

前回の続きです。代表最後の1か月です。

 

さて、幹部を発表する前に、二回生ひとりひとりと話す時間が欲しいな、と私は考えていました。先述したように、上回生と下級生のつながりがあまりないのが現状、中にはほとんど上回生と話したことが無い人だっている可能性は重々にしてあります。それなら最低限、僕とのつながりを作っておくことで、何かあったときの相談先として利用してもらおうと考えたわけです。そうした結果誕生した企画が全員面談です。ひとりひとりBoxにお呼びして、幹部(というかわたくし)とおしゃべりしよう、という企画です。

面談の内容としては

・チルコンの感想

・役職の提示

・各種質問(仲いい上回生について、同期のことについて等)

を用意していました。役職の提示について、実は書記だけこの時点で決まっていなかった(立候補が多く、適性的にも申し分なかったためこちらで一人に絞ることができなかった)ため、そこだけまとめて呼んで、あとは個別に話をしていました。この企画をやることを決めた当初、幹部の中では一人でやると負担が大きいから分担してやるか、という話が出ていましたが丁重にお断りさせていただきました。というのも先述したチルコンの一件で団体の現状を身をもって知った結果、「自分が後輩たちの味方でいなければならない」などという強い意志を持っていたことがあります。それはそれとして私自身がこの企画について相当わくわくしていた、という部分もあります。むしろそっちの方が主です。だって楽しいじゃん。みんなと話すの。

ということで全員と話して、役職も決めて、無事発表。どうにか代替わりを形にすることができたのでした。

 

仕事はもうちょっと続きます。まずはチルコンの後始末、DVD化並びに梱包、発送作業です。チルコンの映像化につきましては私がこっそり所属している映像音楽錬成サークル(この時点ではあかとんぼで手一杯であったためほぼ居ないも同然でした)の力を借りていました。さらにそこの部長等を働かせることで、弊団体に映像技術を伝授させました。やはり持つべきものはコネだな!ちなみに私は面倒だったので何一つ参加しておりません。丁度二回生の皆様が精力的に活動しようとしていたためそれに甘えた形でもあります。

梱包と発送についてはチルコン委員が人員を募集していたので当然のごとく参加しました。二年連続での梱包作業はこれまた地獄でしたがなんとかこなしました。あれ絶対10人規模でやるべきだよ…。

そして正真正銘最後のイベント、当代最後のオンラインミーティング、「あかとんぼ総会」の実施です。これについては数年前(僕が入る前)に対面で実施され、様々な意見が飛び交っていたという故事を聞いており、絶対にやりたい!と思っていたため実施しました。私は自分たちの代が変わるまでに絶対に団員の皆様に溜まっている不満を吐かせることは必要だよな…と思っていました。上下のいざこざについてもそうですが、12月にもなると3回生内での不仲説まで騒がれていましたからね。そこに関しては否定はしつつも、そんな話が広まった原因に思い当たりがありすぎたので何も言えませんでした。まあそもそも我々相当なビジネスライク集団でしたからね。特に幹部組なんてご飯会今に至るまで一回たりともやっていませんし(まあ永遠にオンラインで会議していたこともあり態々対面で話すことなどなかったところはある)不仲と言われても仕方のない部分はあります。別にそこまで仲悪い、というわけでもなかったと思いますがね。

ということでこれまたアンケートを実施し(代表任期の一年間でめちゃくちゃGoogle form使うのがうまくなったような気がします)。それを一個一個読みながら資料を作ることになります。匿名性担保と言うことで学年以外は記入無し、という形を取らせていただきましたが…正直バレバレでしたね。文脈からも、何なら文章の質感からも「これあの人が書いたな…」ってのが判別できたのは正直楽しかったです。ただあまりにも分かりやすすぎたので資料にする際には大幅な手直しが必要になりました。流石に大変でした。

なおこれは余談ですがあかとんぼ総会実施にあたり、なんと私は当時お付き合いしていた人の家から参加していました。つまるところ九州にいたわけです。丁度その方が留守にしている時間帯だったため一人のんきに司会をすることができたのでした。

総会本番は想定以上のメンバーにお集まりいただき、色々と話をすることができました。やはりオンラインということで、聞いていた対面開催時のような大騒ぎはありませんでしたが、それでも様々な立場からの思いというものが全体に伝わることはできたのではないかと思います。第二部でいろんなお題についてメンバーの誰が相応しいか問うあかとんぼ総選挙を実施できたのもよかったです。あれ実はどこかの合宿でやりたいな…と思っていつつも色々な制約によりできなかった過去があったので、最後の最後に実施できたのはとても嬉しかったです。最後に幹部の皆様からのありがたいメッセージを伝えてもらったところで終了。前日に代替わりの公式書類を猿山に提出していましたので、これにて本当に代替わりです。

…いや、もう一つ仕事が残っていました。総会アンケートの集計版公開です。事前に「集めた意見は大体公表するからよろしくね」と言った手前公開するのは義務なわけなのですが、先述のとおり文体を見るだけで誰が書いているかバレバレだったため大部分を書き換える必要がありました。一部は総会資料に載せる際に校正を加えておりましたが残りを直すのもまあ大変。最終的に作業は大晦日の晩まで続き、紅白も佳境になったあたりでようやく公開することができたのでした。年末に皆様を動かすのもどうか、ということで誰かに頼むこともありませんでしたからね。

こうして代表としての任期は終わりました。よく「いつも謎の業務をこなしているイメージがある」などと言われましたが実際その通りだったように思います。私は仕事を勝手に創造することについては天賦の才を持っているというクソみたいな自覚を持っていましたし、さらに自分が勝手に増やした仕事を他人に押し付けるのは可哀そうだ、ということで自分でやってしまうということも多々ありました。さらに基本的に私は自分がしたいことをしていたため、多量の業務が嫌になることが全くなかった、なんなら割と楽しくやっていた所さえありました。その結果いつになっても私の仕事は減らず、むしろ増えていくことになったのでした。この傾向は代表を退いた先も続いていくことになります。

自分自身はこの一年間について、「ようやっとる」という感想を持っています。時勢はいまだコロナ渦、本来の活動が全く復活していない以上、言ってしまえば団体が消滅するリスクすら大いにあったわけです。そんな中活動範囲をオンラインに移しながらもさまざまな企画を行い、「あかとんぼとしての活動」を継続することで、対面活動が解禁された際にすぐにチルコンという大事業をなんであれ成し遂げることができた、ということは当代の誇るべき功績であると自負しています。2020年初頭に始まったコロナ禍、先行き不透明な団体を先代はどうにか持ちこたえさせ、新入部員を多く集めることで「種を蒔いて」くれました。その先代があったからこそ、当代はそのメンバーを動員し、必死に活動を食いつなぐ中で、ある程度の対面活動を実施することで「水をやる」ことができました。その結果が翌年、学童や五児文等、子どもたちと関わる活動の復活を成し遂げることができた、ということで、次代が「花を咲かせる」までのつなぎとしての役割をしっかりと果たすことができた、と考えています。もちろん「こうすればよかった」と思うことは多くありました(特に団内の人間環境保全についてはもうちょっとできたことがあったとは思います。僕らが関わるべきところなのかは知りませんが)が、当時の私たちがその時その時にできることはやれたかな、と思っています。

 

というわけで今回はここまでです。次回以降は2022年。元老と化したわたくしのお話です。

グッバイみすたー⑨

前回の続きです。3年11月。佳境です。

 

Q:就活について何にも触れられておりませんが

A:何にもやっていないので触れるものもありません。

 

なーんか団内環境が悪くなっているような気がしてきた、その上そろそろ代替わりの時期、どうしてくれようか、という話です。それはそれとして先に秋合宿の話をします。

 

そろそろ泊まりでの合宿復活できないかな…?と思っていましたがまだ微妙、さらに例の寺での実施もまだ難しい、ということでなんと大阪市内の貸しスペースを使っての実施となった対面秋合宿(という名の交流会)。前回語ったように私が仕切るのもどうかなあ、と企画段階では思っていたので運営を某氏に丸投げ、自分は実家に戻って参加すらしない!という舐めた態度を取ろうとしていましたが紆余曲折あって(これに関しては誰が悪いわけでもない)当日の運営は私がすることになりました。それまでの施設予約やらなんやら全て任せていたうえで美味しいところを全部もっていった感じになったので若干の申し訳なさがありますがまあいいでしょう。でも君あの景品については本当にどうかと思うぞ?事前に確認して闇に捨て去ったからいいものの…。

当日のイベントについてもいくつか用意されていましたが「ピンとこない」などという中々な理由で一部刷新、クイズに関しては一から作り直してしまいました。といってもいつもと違い対面開催ですからパワポ作る手間がかからないので楽勝。皆様にもしっかり楽しんでくれたのでなによりです。これに関しては本当に経験値が活きているな…と内心ニコニコしていました。なおこのクイズに関してはご丁寧にブログを書いていますのでそちらをご覧ください。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

 

秋合宿、本当に良いイベントになったうえに、ああこの男本当に司会業が好きなんだなあ…という気づきも得ました。皆と一緒に大騒ぎするのももちろん楽しいですが、皆から一歩離れたところで皆を動かし大騒ぎするって方がもっと楽しい、そんなことを考えていました。秋合宿の時の幹部紹介の時に代表職の適性を「働くことを厭わず、根が真面目で、自己肯定感がバチクソ高い人物」と言いました(これについては全方向から自己紹介乙とツッコまれました。そんなに僕自己肯定感高いように見えるか?と思った記憶があります)皆を動かすのが楽しい!と思える、ってのも一種の適性条件なんじゃないかなあ、と思っています。

閑話休題、話を深刻な方に戻します。

だんだんギスギスしてきたチルコン、さて私は何をしたか、という話になるのですが…特段大したことは最後までできませんでした。理由は明白、音響があまりに切羽詰まっていたからです。フリーBGMを頼ればいいのにプライドが邪魔をし自作に拘った結果、結局本番当日に至るまで音響業は続いてしまいました。本来であればもっと演技指導のほう(ダンスについては僕が教えられることがあろうはずもない)に真摯に向き合うべきだったのですが叶わず。演技の時間を計ってそれをもとに曲を調整するなどやることは確かにあったのですが…という感じです。せいぜい全日活動に顔を出すことで「おう就活で忙しい(大嘘)はずの3回生が毎日練習見に来ているぞお前ら来いや」という圧をかけようとしたぐらいですかね。僕の功績って。あと隙を見て後輩たちと絡もうとはしていました。なぜか2年生のご飯会に巻き込まれたり(これに関しては後日同期から怒られが発生した、流石に反省した)こちらからも積極的に話そうとするなどはしていました。

本番当日も音響関係でトラブルが多く、ほぼ練習を見ることができないまま本番を終えてしまいました。リハーサルは本当にちゃんとした方がよかったと思います。さらに本番当日に鍵の施錠を忘れるとかいうトンデモクソガバ(これに関しては最後にチェックしたのが僕なので本当に自分が悪い)をかまし始末書案件を引き起こすという大失敗をかましてしまいました。

本番後、上回生オンリーのご飯会(そもそもこれ自体どうかと思う)で私を待っていたのは罵詈雑言の嵐でした。同じく居合わせてしまったハト派(適当)の先輩と「どうすんのこれ」という顔をしあいながらそれを聞き続ける時間はまさしく地獄。私にとっては1回生も2回生も、実質自分が代表になってから活動に参加し始めたまさしく子どものような存在。彼らのことを悪く言われるのは苦痛以外の何でもありません。なんなら同意すら求められましたからね、適当にごまかしましたけれども。

世代交代を直前に控えた今、上と下との関係が悪いのは問題です。さらにかなり長い間活動後の会食を禁じていたこともあり(正直過剰に言っていた部分もありますが代表として不始末からの活動停止だけは何としても防がなければならなかったため許して欲しい)上下の繋がりが少ないのが現状。少なくとも年末までにはある程度決着をつける必要があります。引継ぎと上下のコネクション作り、これこそが僕の当代代表としての最後の仕事になったのでした。

さて引継ぎですが、動き出したのは11月。先述した秋合宿の時に役職の発表を行いました。その後選考に入ります。僕らの時は見事なまでに丸投げされましたが、今回は2回生にアンケートをおこない、それを基に幹部が案を考え下におろす、という形態をとらせていただきました。そこまでの活動を通し、役員等の選任を本人達の希望に丸投げすることのリスクの高さについてよーーく理解していたことが主な理由になります。

というわけでアンケート実施しましたが…予測通りというかなんというか、代表職に立候補する愉快な輩は現れませんでした。他の役職の立候補はそれなりにあったため完全に手詰まり…というわけではありませんでしたが、どうしてくれようかこれ、という状況にはなっていました。

集めたアンケート、並びに現職の皆様の声も聴いたうえで幹部(弊代の幹部会議は基本的に代表+W副代表の3人でやっていました)で話し合うことになりましたが…これが中々難航しました。普段の幹部会議では意見こそ当初食い違うものの割とすぐに妥当案を見つけることができる(逆に言えば最初から意見が完全一致することはほぼほぼなかったように記憶しております)のですがそうもいかず、割とうんうん唸っていたように記憶しています。最終的には🫘のひとことがきっかけとなり皆様ご存じの体制でいくことになりました。

これは本当に彼のファインプレーだったと思っています。

 

というわけで新体制の大枠が決まりました。代表業もウイニングラン、というところで次回に続きます。

グッバイみすたー⑧ 

前回の続きです。三年晩夏、チルコンからです。

 

なんだかんだ代表就任から9か月ほど。相変わらずいろいろと働いていた私はふと考えました。「これ…僕ばっかり動いていないか…?」と。

例年のメイン活動である学童訪問や公演の場合、メインで動くことになるのは毎週かわるがわる担当の学童当番や公演委員になります。公演はともかく学童に関しては毎回忙しい人が変わるわけですから特定の誰かに負担が集中する、ということはほぼないわけです。ただこの年は学童、公演、五児文、夏合宿という各委員がまったく動けず、その代わりとして幹部3人が色んな活動をほぼすべて企画運営していました。その長であるのが私でありますから、必然と私はありとあらゆる活動に参加して、なんなら指揮している、という形をとっていました。

皆様ご存じの通り私は相当の仕切りたがり屋なため自分自身はそれに満足していました。しかし同時に「これ私がいなかったらまずいことになるのでは…?」という危機感も持っていました。先輩方はともかく、同期の皆様や後輩に色々なことを任せる機会は代表任期中のどこかで必ず用意しておく必要がある、ということは割と考えていました。

そこに丁度現れたのがチルドレンコンサートでした。チルコンは本来下級生主体のイベント。さらに同期のチルコン委員が本当に信頼できる二人だったこともあり、これなら僕が動かなくてもなんてことないな!となりました。まあ結局一番動くことになっていたのは時の副代表であり、「幹部以外が活躍できる場!」の創造に成功したかと言われると…というところですがまあいいでしょう。

とはいえ歯車としては働く必要があります。チルコン最初の仕事は三回生による台本作成。我々は一人ひとつ台本案を持ち寄り、投票で決めるという手法をとりました。私も一案用意しましたが「ハッピーエンドにならない」ということで票が集まりきらず没となりました。そりゃ「枯れかけの花を再生しようと頑張るけど寿命には勝てなかった」みたいな話年の瀬には見たくないわな…。

採用されたのはおそらく🐰の案。そこから細かい肉入れが行われました。私も参戦し、主に終盤を担当しました。あの作品の終盤がやたらめったら重めなのは大体私のせいだと思っています。メッセージ性があった方が演じてて楽しいじゃん?

その後チルコン会議に先立って一回生のチルコン委員を決める会議。例年はある程度一回生の様子をみてから指名するのですが、一回生の様子を見る機会などほぼほぼありませんでしたのでもう皆で決めてしまえばいいじゃん!ということでこの形になりました。まあこれしかなかったと思います。

その後チルコン会議で役決めやら何やらがおこなわれます。私にとってチルコン会議ははじめての「今代におけるみすたーが主催しないオンラインミーティング」であったこともあり中々の違和感を持ちながら参加していました。一般平民というものはこれほどまでに何もしなくていいのか、ということを考えながらTwitter(死語)で実況して遊んでいました。

なおチルコンにおける役職ですが、委員との交渉の末音響&照明を単独で担当させていただきました。これもまた「自分が動かなくてもいい体制」のためにお願いしたものでした。どうしても小道具やら衣装やらの担当で複数人チームになると私が動くことになりますからね。完全個人業ということで指揮枠を他のメンバーにぶん投げることに成功しました。

練習会自体は時間が合えば毎回参加していました。当初はオンラインの練習ということで大丈夫か、と思いましたが以前に何度かプログラム練習会(完全に語り忘れていましたが春~夏にかけてちょくちょくオンラインで紙芝居の練習会をやっていました。紙芝居をデータ化する作業が非常に大変であった、という話を聞いています)で皆それなりに慣れていたのでスムーズにいきました。

秋学期が始まる頃になると対面での活動も可能、ということになり活動拠点が関大構内に代わりました。練習も対面主体になり、新歓会議室やらなにやら使って大騒ぎしていました。しかしどうも毎回の練習日の参加者が増えません。まあオンライン授業主体でとっている人などは大学に来る用事も少ないし仕方ないのかなあ…なんてことを考えながら練習を見にいっていました。といっても私は練習場所で音響の仕事をしてばかりであり、あまり周りの様子はみていませんでした。

 

チルコン本番(オンラインのため11月末)まであと一か月という最中、一通のLINEが届きます。1回生チルコン委員から届いたそれは、あまりにも辛いからサークルを抜けたい、というものでした。

 それはあまりに衝撃的なものでした。今まであかとんぼを抜けていくメンバーは少なからずいました。しかしその理由は「そもそも合っていなかったことに気づいた」「別のことで忙しすぎてくる時間がない」といういわば誰も悪くないものでした。その中で「活動していくなかであかとんぼが嫌になって辞める」というものは、少なくとも私の知る限り前例がないものでした。詳しい事情を本人に聞こうとしましたがそれも叶わず、将来有望だったはずのチルコン委員は去ってしまいました。その後他メンバーに聞いたところ、どうもチルコン委員同士の連携がうまくとれておらず、辞めていった委員に過度な負担がかかっていたことを知りました。

先述のとおり、私はチルコンについてあまり深く関与しないようにしようと心がけていました。それ自体が間違っていたとは思いませんが、もし自分が困っている姿に気づき、何らかのアプローチがとれていれば、少しでも負担を減らすために動くことができていれば、このようなことを未然に防ぐことができる可能性は少なからずあったはずです。にもかかわらず私が目を背けていたばかりに、傷ついていくメンバーの存在に気づくことすら出来ず、結果として取り返しのつかないことになってしまった。これでは代表失格もいいところです。

さらにその後いろいろなところと話をしていくなかで、そしてチルコン練習に対する態度をめぐり、下級生と上回生の間で軋轢が生まれ始めているらしい(といっても上回生→下級生の一方的ないらつきではありますが)ということを認識することになりました。

確かに練習の参加率も、練習会の濃密さも、その年のチルコンは過去の(少なくとも19年度の)ものより劣っている、という印象はありました。しかしそれは本来チルコンまでに培われているはずだった日々のプログラム練習や公演での経験がない、つまり元々のあかとんぼの練習文化を知らないのが原因であり、むしろそれを正しく伝授できていない上回生サイドの問題なのではないか、と考えていました。私は練習会には足しげく通っていたにもかかわらず肝心の練習内容について我関せずの態度をとっていました。練習会の実態を知っていてなお動かなかった。それが原因で団内の人間関係にいざこざが起きているのだから、問題の責任が私にあるのは明白です。

 自責の念に駆られた私は、やはり自分がきちんと動かなければいけない、前に立って動くことはなくても、団の代表として後ろから皆を支えていかなければならない、と思いを新たにします。

しかし禍いは禍いを呼ぶもの。時を同じくして私のパソコンがなんとクラッシュ、リセットを強いられます。今までのあかとんぼに関するデータは既に団体PCに移しており、授業に関するデータはクラウドに保存していたので事なきを得ましたが、音響に関するデータが吹っ飛んでしまいます。一か月分の作業データが無に帰してしまった、ということになります。これでは泣きっ面に蜂です。

 

代表満期を直前にしてやってきた危機、当時の私がどのように動き、そして次代にどうやって引き継いだのか、次回に続きます。

グッバイみすたー⑦

前回の続きです。2年の3月からです。


ようやく幹部というものが如何なるものかわかってきた我々幹部陣ですが、当時やっていた仕事は新歓やらボラフェスやら、どうしても大学内で完結するものばかり。大学からも対面でのイベント自粛要請は続いていましたし、情勢的にいますぐ学童訪問!ということもできるはずがありません。いい加減子どもたちに向けてまたなにかできないか、と考えた際に思いついたのが「動画を撮影して送る」ことなのでした。

ということで3月に練習のち動画を作成、四月末を目途にDVD郵送&Youtube限定公開という流れで計画を遂行しました。‥‥やたらあっさりしていますが実はこの企画、私ほぼほぼ関与していない(せいぜい学童委員として各学童にDVD環境あるか聞きまくったぐらい)んですよね。参加メンバーも二回生を中心にそれなりに集まっていましたし、何より当時の私は別事業でクソ忙しかった、というところもありましたからね。

結果として企画自体はまあまあ成功しました。味を占めた我々は「あかとんぼYoutuber化計画」なるものを考案し、皆様に色んな意見を仰ぎつつ動画制作企画を動かしていこうとします。「折り紙の折り方動画」「ピロンくんの出てくる動画」等、なんだかんだ秋に至るまで結構色々考え続けてはおりました。

話戻して、当時の私がなにで忙しかったのかと言いますと…卒製に代わる企画の運営です。当時の四年生はコロナ禍で本当に何も動けなかったなどの事情が重なり、卒製を実施しないという話を受けていました。さすがに何もないまま去っていかれるのはこちらとしても寂しい、ということでオンラインで何かしら企画することにしました。二部構成でおこない、一部ではいわゆる卒業式チックな挨拶やメンバーの皆様にお願いしていた卒業生に関するアンケートの集計発表、二部ではとにかく皆で交流してほしい!ということで会場をいくつかにわけフリートークスペースを設け、自由時間としました。当時の2~4回生はほぼほぼ参加していただき、先輩方も10人近く駆けつけてくれるなどとても和気あいあいとした空間を作ることができました。何名か先輩方が涙を流していたのが印象的でしたね。

この「あかとんぼ卒業式」の企画運営、わたくしの任期における一番よくできた仕事なのではないか、と思っています。アンケートの結果発表の仕方など総ツッコミを受ける場面こそありましたが(まあまあ反省している)あそこまで参加メンバー全員が満足できるイベントを用意できたのは本当によくやったと自負しています。ここに至るまで何度もオンライン会を企画運営し試行錯誤を重ねてきた中での実施であるため、相当経験値がたまっていた、という部分が大きかったのだと思っています。やはり経験はものを言うということです。

年度代わって四月。新歓シーズンです。まずはいつも通り対面新歓…なのですがこれまたあまり関与しておりません。前回の記事に書きましたが自分がいかに新歓に向いていないか、という点については重々承知しておりましたので基本的には後ろから支える、という形をとらせていただきました。現に新歓を見にいってちょっとブースの番をさせてもらいましたが速攻クビになったりしましたからね。初対面の相手には向かないんだよな本当に。

ただオンライン新歓はちゃんと働きました。広報と協力して団のSNSやメール等にきたメッセージに対応したり、Zoom新歓やらボラフェスやらを動かしたり、という点ですね。Zoom新歓は数回行いましたが正直ウケとしてはイマイチだな…という部分がありました。いくら色んな人と話せる機会を設けようとしたところで、オンラインでの実施だとどうにも実体感がなくて面白みにかけますからね。こればかりは仕方ないと思うと同時に昨年完璧に回し切った先輩方本当に凄いよな‥‥と改めて思うなどしました。

とはいえ粘り強く新歓を行い続けた結果、1・2年合わせて10人近くのメンバーを集めることに成功しました。いまだ活動に見通しがつかない中、これだけの人数を集めることができたのは、本当に広報が頑張ってくれたおかげであると思っています。弊団体の広報、毎年滅茶苦茶有能だよな…。

また、4月には2~4回生を対象にスプリングミーティングを行いました。意図としては新歓で新入生が入ってくる中、少なくとも上回生同士が初対面でギクシャクすることは避けたい!というものだったと記憶しています。今後の活動の流れを説明したのち、グループルームに分かれて色んな話を色んな人としてもらうことで関係の深化を図る、通称「トークトークトーク!」を行いました。それなりに好評でもありましたし、こちらも企画するのがとっても楽だということで、確定新歓等でも使い倒すことになりました。


六月になると対面での活動も少しだけ可能となったことから、もっと活動範囲を増やしていこう!ということになりました。ということで先述した動画企画を本格的に動かしていこう、ということになりましたが、そこで立ちはだかったのがハード面の問題でした。当時の団体にはまだパソコンがなく、ビデオカメラも古いものしかありませんでした。撮影自体は誰かしらのスマホでできますが、容量には当然限りがありますし、編集なども含めると大変です。それなら団共通のパソコン(とビデオカメラ)を買えばいいじゃん!ということになったのでした。

問題は財源です。どこかでお話ししたと思うのですが、あかとんぼには部費という概念が存在せず、予算の大半を関大からの助成金で賄っている、という財務体制をとっていました。しかしコロナ禍で活動が止まったことにより、関大のボランティア助成金のはたらきが完全にストップしてしまいました。前年冬に行ったクリスマスプレゼント企画においても「どうせ金はあとから降りてくるからええやろ」と考えていましたが結局降りてくることはありませんでした。大赤字です。

幸いあかとんぼは財務状態がそれはそれはよかった(毎年出ていた学祭の利益がそのまま溜まっていた)ためすぐに経営破綻、ということにはなりませんでした。しかしここからPC、ビデオカメラを買うとなるとどう見積もっても6桁の金が動くことから、すぐに買おう!ということもできませんでした。

そんな中、関大のボランティアセンターから外部団体の助成金の案内が届きます。大阪府福祉協議会が運営しているそれは、ボランティア活動に勤しむ団体にたいし、最大15万の助成金を出してくれるというこれ以上ないものでした。さらに前年度において関大内の他団体が助成金の獲得に成功しており、あかとんぼとしても5年ぐらい前に助成金を賜っているという、十分に通る可能性のあるものでした。

このチャンスを逃すわけもなく、助成金獲得のための書類制作に勤しむことになります。…正直この作業、滅茶苦茶大変でした。大学を離れた、府の機構に提出することになる公的文書を何枚も書くのはとてもカロリーの高いことでした。ボランティアセンターに何度も書類を提出しては赤入れのち突っ返され、また書き直す、という作業は5度ぐらい繰り返されることになりました。幹部で分担して仕事すればよかったのですが、当時の私は色々あって、自分の悲しきモンスターに成り下がっていたこともあり、一部を他に回しながらも8割方自分でやっていました。先輩方も「助成金申請が一番大変な仕事だ」などと言っていましたがまさしくその通りでした。

とはいえなんとか助成金の申請がとおり、弊団体には15万という大金が入りました。そのお金で無事、パソコンとビデオカメラを購入することに成功しました(なお購入に関しては当時3回生にPC関係有識者がいなかったため、店の人に任せて購入したと聞いています。某氏の存在を早くから知っていればもっと上手い買い物ができたのでは…?とは思いますがこればかりはどうしようもありません)ようやく動画企画が始まる…!と思っていましたが時期は既に晩夏。そう、チルコンのお時間です。

ということでここまで陰で動き続けてきた動画化企画ですが、結局実施に至ることは一度もありませんでした。理由と致しましては「メンバー同士が簡単に集まることができなかったこと」「実施場所に強い制約があったこと」「動画編集班がまあまあ不足していたこと」「企画自体はまとまっていたけどいつやるかが未定であり、そこから多忙等で動かせなかったこと」「そんなこんな言っている間にチルコンが始まり皆それどころではなくなったこと」などがあげられます。まあ最終的にチルコンでPC等フル活用することになったしよいこととしますが、正直何かしたかったよな…という思いもあります。特に二年秋は活動もだいぶできるようになっていましたし、チルコンと並行して動く、ということも(ほぼ上回生のみになりそうだが)できた可能性はありましたからね。クソ忙しくなるのであれですけども。


と言うわけで今回はここまで。次回は波乱万丈三回秋。代表引退まで書けるといいですね。

グッバイみすたー⑥

前回の続きです。今回は私が代表になったころ、つまり二年の晩秋からです。

 

ここから暫く代表のみすたー編になるわけですが、その前にまず私の代表としての基本的理念について話しておきます。

基本的には保守的であった、と考えています。コロナ前のあかとんぼをきちんと知っていること、そしてそれに大して不満を持っていなかったことが理由です。古き良きあかとんぼをそのまま受け継ぎたい、という思いが強かったため、あかとんぼの根幹を変える、ということがないように運営を行っていったと認識しています。

また、前回さらっと触れましたが、我々の体制では幹部(代表&副代表)3人がそれぞれ違う目線で動こうとしていました。ひとりは自分の体験を通し、「子どもたちのために」何ができるかという目線から。またひとりは大学のサークルとして「あかとんぼの一人ひとりのメンバーのために」何ができるかという目線から動いていたように感じました。そして私は「あかとんぼという団体のために」何ができるか、という目線で動いていました。一人ひとりのメンバーというよりも、50年近く続いていた由緒ある団体の灯を消さないように、ということです。そのためサークル活動がきちんとできるようになるために、猿山本部からのお達しなどは結構厳格に守っていたしメンバーにも守らせていたと思っています。楽しい活動よりあかとんぼ存続の方を優先した、というわけです。

…今考えてみるとこの三つの視点、「外にはたらきかける」「みんななかよく」「全体を豊かに」ってのは極端に言うと帝国主義、民主主義、共産主義という見方ができるようなきがします(帝国主義についてはだいぶ苦しいが)。私は共産主義を掲げていました(語弊)から当時のあかとんぼは赤く染まっていた、という見方もできるわけです。まあ弊団体の男共は上も下もちょくちょく共産ネタで盛り上がっていた記憶がある(誹謗中傷)のでそんなもんなのかもしれません。閑話休題

 

新体制の発表は確定新歓の時にあったと記憶しています。後輩たちにとっては自分たちを歓迎するパーティで幹部が変わってしまうということで、不安に思うのではないか、と少し心配したような気がします。

代表としての最初の仕事はボラ団(猿山にはいくつかボランティア団体があって、そいつらがまとまって新歓とか色々やってました)運営の引継ぎ会です。といっても何かすることがあった、というわけでもなく、ただただ集まって話を聞いていただけです。

対面での実施だったため、他団体の次期代表の皆様にも会うことができました。その人たちとは今後一年間ボラ団メンバーとして一緒に活動していくことになります。…が、その後一年間ボラ団の活動は100%オンラインで行われてしまったため、他団体の代表方に直接会うことはついにありませんでした。例年でしたら代表たちによるご飯会とかあったらしいですが…割と行きたかったので残念です。

次の仕事は学童へのクリスマスプレゼント送付。企画自体は先輩方が立案し、その運営を新体制が任される、という形になります。例年であればチルコンの時期ですが当然何もできません、というか丸一年子どもたちに対してなにもできていません。このままではみんなあかとんぼのことを忘れてしまう!ということでクリスマスカードとプレゼントを各学童に送ることになったのでした。

どうせならプレゼントは豪華なものに!ということで、各学童に贈るプレゼントはナンジャモンジャとキャット&チョコレートにしました。これを1クラス1ゲームずつ贈るわけです。当時あかとんぼは活動がまるでなく、使うはずであった予算が潤沢に余っていたため、このくらい奮発してもええやろ!と思っていました。予算なんてものはちゃんと申請すれば降りてくるものだ、と当時の私は思っていましたからね。

クリスマスカードのメッセージは直筆で書いてもらいたかったので、日程をいくつか決めてメンバーに書きに来させる、という形をとりました。おかげでほぼ全員と顔合わせをすることができたのはよかったと思います。特に1回生(当時)はまだ対面で誰にも会っていなかったため、こういう企画を通じて同学年の子や先輩方と話すきっかけを作ることができた、というのは良かったです。クリスマスカード表紙のイラストも完全手書きでした。今考えるとかなり手間のかかることをやっていたよな…と思っています。私は画力が足りていませんので先輩やら同期やら後輩やらフル動員して書いてもらいました。かなりいいものが作れたと思っています。

最後に指導員さんへの簡単な手紙もしたため、梱包&郵送。これが本当に大変でした。プレゼントの数を数えたり、学童の住所と郵便番号を調べたり…とやるべきことが多く、人員も多くいなかったためすごく働くことになりました。それでも17学童分完成させ、どうにかクリスマスに間に合うように郵送することができました。めちゃくちゃ疲れましたが、後日学童から愛のこもったお礼の手紙をいただいた際には「本当に…やってよかった…」と思いました。なんなら感動してBoxでひとり泣いていました。

年末にははじめてのZoom主宰行事であるオンライン交流会を行っています。あかとんぼのゲームを後輩に紹介するなどしましたが…あまり受けはよくありませんでした。オンラインでメンバーを満足させることの難しさを痛感し、そこそこ落ち込みました。

 

年明けて2月。新歓の準備がはじまります。代表の仕事は書類準備。配るビラやらなんやらを作成します(ビラは本来書記に回すはずでしたが〆切直前に気づいたので慌てて書きました、カスです)。準備するものがやたら多いし新歓実行委員のサル共(サルに対して誹謗中傷があったことをお詫び申し上げます)がどうしようもないせいで振り回されたりとそこそこ苦労した記憶があります。

並行してボラ団の合同新歓、ボラフェスの準備も始まります。こちらも運営を引っ張ってくれるはずの学生スタッフがだらしないことで話がろくに進まずやきもきしていた記憶があります。各団体の代表の皆様も(僕を含め)長いものに巻かれる性質をもっていたため、だれかが偶に発言したらそれがそのまま採用される、ということも多々ありました。引継ぎの際に先輩から「自分から動けばほぼ思い通りになる」とか言われていたのは本当だなあ…と思うなどしていました。

これらの体験から私は「学生主体団体の上層部はまるであてにならない」という考えをもつようになりました。しかし言ってみれば私も「学生主体の団体のトップ」。メンバーの皆様に同じようなことを思われる可能性は大いにあるわけです。そう思われないためにもこれまで以上にしっかりやらなければな…と気持ちを新たにしました。

2月頭には再びZoomでウィンターミーティングを開きました。メインの活動としては1回生(当時)の委員決めです。何も活動が出来ていない中でやりたい委員なんて決まるものなのか…?と不安に思っていましたが割とサクサク決まりました。有難い限りです。

またウィンターミーティングでは幹部共がそれぞれ1つゲームを考え、皆で交流するという企画もやりました。みすたー名物トンデモ難易度クイズはここからのスタートになります。

ちなみに僕がことあるごとにやりだすトンデモ難易度クイズですが、基本的には1回生の合宿の際にやっていたバラエティクイズがベースになります。ジャンルごとにクイズがあって皆で選んで答える、という形をとっています。難易度に関しては平均正答率50%ぐらいで作っていたつもりです。皆正解しちゃうと得点差がでなくて面白くないですからね。

問題については相当苦心しました。いつしか忘れましたが「全メンバーの人名総覧使ってその人にまつわる(まつわるとは言っていない)クイズでも作ろうか」と一念発起したことがあります。無事完成しましたがまあ地獄をみたような気がします。何も考えずに大量につくったことで、最後まで日の目を浴びなかったクイズというのも多く残っています。当時クッソ暇だったとはいえもっと働き方を考えた方がよかったのではないか、とは思っています。まああれ作るの楽しいし僕のためにもなった(クイズの内容は作成時点で僕も知らないことが多く、作成するにあたって結構いろんなことを調べて新しい知見を手にしていた)からよいことにします。

 

今回はここまで。次回は3~4月ぐらいまで書くかな?

コネクトライブに狂った男のログ

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先日プロセカゲーム内にてワンダーランズ×ショウタイムのライブイベントが行われました。

今回はそれについてのオタクバカ騒ぎになります。

適当に思ったことを書き散らしているだけなのでいつも以上に無茶苦茶ですのでお許しください。

 

・パンフレット

(たぶん画像出したら怒られるから画像なし)

これもう書き下ろし曲篇答え合わせじゃねえか!!!!!!

他ユニットのパンフどんな感じだったか知らんけどこれ一目見たらどの曲するかすぐわかるじゃん…ちょっとだけネタバレ食らった気分でもあるけど滅茶苦茶選曲いいからすべて許します…。

メインイラスト、司くんだけクソデカであることに賛否両論あるらしいですが僕は賛成派です。だって座長ですよ????トップスターですよ???他ユニットと違い割と明確に「リーダー」が存在するのがダショで、そのリーダーが天馬司なんだからこれでいいんですよこれで。

そしてイラストがかわいい。はちゃめちゃにかわいい。女の子は勿論にして司も類もKAITOさんもみんな可愛くなってる。絵師ってすごいよな…。

神代インタビュー、あれとってもやばいですね…。今まで自分が演出してきたワンダーランズ×ショウタイムのショーも好きだけど印象に残っているのは…そうだね…だから君ワンダショ大好きなんだね…。

最後のオフショット、左下なんなんですか?どういう状況なんですか????誰が撮ったんですか????可愛いが渋滞しておりますが????????

 

 

5分前アナウンス半分以上聞き逃しました!!!!!15分前アナウンスの時点でだいぶ携帯熱かったのでいったんアプリ切って冷ましてたら時間来てました!!!大体わかっていたのに!!!!畜生!!

オープニング、ミクちゃんとKAITOさんからのスタート、やっぱダショを語るにはこの二人は外せませんよね…そして真打として4人登場、わかってたけどすごく盛り上がったね。

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オープニング用オリジナル曲とっても好きです!!セカライの時も思ったんだけどダショのTHEテーマパークというか、重厚でポップでアメリカンなミュージックが最高ですね、テンション爆あがりよ

 

オープニング曲ルーラーなんだ!!!絶対グロステだと思ってたのでびっくりした、でもこれからショーを始める時の曲としては100点満点なのでなるほどなあと感心した、流石公式解釈が深すぎる

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ショウタイムルーラーといえば2番の神代のあれからのラップパートなんですけど…ライブでは初めてだったけど最高でしたね…。本当にこの曲神代類のテーマソングなんだなあと…。基本的に演出家として皆を輝かせるのがこの男の役目なんですけどこの曲だけは彼が中心となって彼自身が存分に輝いているのがもうね…。ラスサビで他四人が外周回っているところで真ん中に居続けるの、すごく「演出家、神代類」感があってよかったですね(??????)

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ショーのストーリー、ダショメンバーの過去を思いっきり再現してきましたね…。寂れた遊園地の3つのエリアに3人の妖精、それぞれの理由で希望を失っているわけですが、それが今までのえむちゃん寧々ちゃん、そしてトルペ(天馬司というわけではない)に重なっているんですよね…。だからそれぞれの悩みを解決するメインキャラはその三人になるわけで…。この脚本を考えることができるのは君しかいないわけですよ、本当に君はワンダショ最高の演出家だよ。神代類。

2曲目はにっこり調査隊。2番のワンツーが好きです。ラップパートも好きだしサビのにっこりこりこりお利口さんも好きです。こいつらがハモるのMr.showtimeでもあるけどなーんか面白いのよな(語彙力の欠如)


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あとえむちゃん曲ということもあって振り付けが可愛い。特にBメロ。3DMVと演出が違うので見てて飽きませんね。

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そしてここから長めのショータイム。ここはそれぞれの公演でやってることが違うようです。僕が見たのは第二公演。

眠っているルカさんを起こすためにどうしようか…ということで「スーパーわんだほい」と「動物の物真似」で投票。僕はスーパーわんだほい派でしたが選ばれたのは物真似。まあええわ。

投票の集計を行っている間には時間つぶしとしてわんだほい選手権が行われました。…これスーパーわんだほいと変わらないのでは…?

ひとりひとり自分が考えたわんだほい(概念)をみせるというものでしたがトップバッターは寧々ちゃんが自ら立候補。「こういうのは先にやっておいたほうがいい」だってさ。まあ司くんやら類くんやらが控えることを考える先にやっておいた方がいいというのもわかる。あいつら変なことやりかねんし。なお普段が引っ込み思案なタイプなため司類あたりはガチトーンでびっくりしていました。僕もびっくりしました。

というわけで寧々ちゃんのわんだほいはネコのわんだほい、にゃんだほい。

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はい?????????????????????可愛すぎませんか?????????????????にゃんにゃんする寧々ちゃんを公式で出していいんですか???えっこの前ニャン生やったから既に公式?あっそっかあ…。

これの何が面白いって第三公演で神代まで猫になったらしいんですよね。しかも「可愛いポーズ」とかいうお題で。絶対にゃんだほいに摘発されたろ。絶対にゃんだほいが可愛かったからやっただろ。なあ。(ノマカプ脳)

 

天馬司のわんだほいは…まあ…ノーコメントで…。

神代類の逆再生わんだほいは公式Twitterに晒されていますね。まんま司くんの上位互換って感じです。それでいいのか世界のスター。

というか神代類さん事前に「録画は禁止だからね」ってアナウンスしておきながら「見返してみてくれたまえ」って何なんですか???その矛盾に気づいたときのガチ素ボイスもなんなんですか????めちゃくちゃ面白かった。

 

この辺で投票の集計が終わり物真似が始まります。トップバッターはえむちゃん。祈念公演でやったアヒルの物真似。実家のような安心感。こういうのでいいんだよ。

もっとレアな動物、ということで司くんが選んだのはイグアナ。「イグアナッイグアナッ(裏声)」って…君イグアナをなんだと思っているんだ????

もっとレアでやかましい動物…ということで何かを察するオタクたち。予感は的中。類くんが選んだ動物は天馬司。めっちゃ上手かった。類くんあんだけ声でるのね…演出家のイメージが強いけど君も演者だしね…そりゃトレーニングしてるよね…。あと迫真のポーズに我慢できなかった司くんが乱入してきたのもよかった。

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これをみていたえむちゃんは寧々ちゃんに自信の物真似をせがみます。ええ…という顔の寧々ちゃんですが男共が悪ノリしたことでやらざるを得なくなります。やっぱり最初にやっておかないとろくなことになりませんね。

というわけで寧々ちゃんによるスーパーハイテンション鳳えむ。予想を上回るうまさでびっくり。流石Machikoさん。


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やりきった寧々ちゃんは恥ずかしさで顔を覆ってました。とってもかわいい、なおあまりにも可愛すぎたのでスクショを忘れてました。カスです。

 

というわけでルカさんを起こし三曲目。ルカさんの衣装で察していましたが寧々ちゃん曲、グロステ。一番好きな曲。

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とっても寧々ちゃんが楽しそうでよかったです。「やっぱりみんなでショーやるの楽しい!」ですってよ。オタクみんな昇天してまう。マーメイド衣装も思っていたより映えていいですね…。


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最後はピアノとKAITOさん。司くんが「知り合いの話」としてトルペの話するのよかったですね。

88☆彡。衣装がとっても好きなので3Dで観れるの嬉しかったです。この曲に関してはとことん天馬司が格好いい。というか天馬司は基本的にかっこいい。僕が女子だったら確実に沼だからな。沼。

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ステージがとてもキラキラでよかったですね。ステージ周りのペンライトも星の役割として演出に一役勝っていました。幻想的だあ…。

 

そんなこんなで妖精たちも元気を取り戻し、遊園地も復興へ…というところでストーリーはおしまい。ラストの挨拶がああ、ミュージカルだ…という感じでよかったです。

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キャスト紹介、司くんだけ取り損ねた。ごめん。

 

アンコール、一曲目はKING。暗い!衣装も黒いから時によっては顔だけ動いているように見える!まあかっけえからええか…

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二曲目はポジティブダンスタイム、キノシタ楽曲ふたつやると思っていなかったのでびっくり。割とアイドルみが高い曲。

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当然寧々ちゃんは可愛い。そこに…?


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ネネロボだ!ネネロボが出たぞ!!!!

膝立てして同じ高さで踊る草薙寧々さん、なんというか、本当に、ママ。母性溢れる。𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬______

ここで携帯が限界を超えて一度アプリ落ち。よってポジダンラスト見えず。残念。

 

そしてラスト曲、セカイはまだ始まってすらいない。実家のような安定感。


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ということで終演。カーテンコールのお辞儀の仕方が解釈一致でいいですね。

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合間合間にはコメント返答のコーナーもありました。全部覚えていませんが神代類が野菜食えというコメントにたいして全力で拒絶していたのが面白かったです。ちゃんと食え。

 

 

というわけでコネライログでした。そこそこなお値段はしましたがすごく楽しかったし満足です。はやくアーカイブみたい。えっ実装1年後?待てるわけないだろう?とりあえずポジダン3DMV追加して?もちろんネネロボも込で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グッバイみすたー⑤

前回の続きです。今回はコロナ襲来から。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

 

2020年春、皆様ご存じのとおりコロナウイルスの恐怖が世界を襲います。その結果すべての活動がいったん停止してしまいます。

学童委員になった私が最初におこなった電話は学童への訪問アポ。しかしお互いに見通しがつかないことで、どの学童からの返事も「今期は難しそう」というものでした。しかしいくつかの学童からは「でも楽しみにしているからまた回復したら来てね」というメッセージもいただきました。有難い限りです。

三月には卒業制作がありました。もともとは対面開催の予定でしたがそれは叶わず、Youtube liveをつかっての配信となりました。‥‥今考えるとあの時期にLIVE配信にこぎつけた先輩方、かなり凄いことやったよな、と思っています。発表物自体はコロナ襲来前にコツコツやってたとして、「自分達だけで場所借りて機材整えてライブする」って中々ですよ。コメント等の機能も有効活用していましたからね。まさしくプロの所業といえる(ごますり)

また、毎週の学童以外でも経験を積みたい!という思いで某学童のアルバイトに応募しました。面接とおるかな…?と思っていましたが事実上顔パスでした。あかとんぼに対する信頼度が高すぎる。

 

そして四月、新学期のシーズンですが…大学は動きません。当然新歓も動きません。数週間して授業が始まりましたがそれも完全オンライン制。慣れないZoomに四苦八苦することになります。

二年春学期ですが、私は岡山に戻っています。大阪にいても一歩も動けませんし、授業なんてものはどこでも受けることができますから、光熱費やら食費やらかさむことを考えると実家でのんびり過ごした方がいいや、と思っていたからです。バイトも固定シフト制のものはその時点では全部やめていましたからね。某学童も岡山にいるから…というわけで4か月ぐらい全く入りませんでした。よくクビにならなかったな…と思います。なお就職(?)は四月ですが働き始めたのは八月になります。その間でどうも求人の時給が変わったようで、ほぼ同じ時期に働き始めたのに時給が300円違う!とかいうとんでもない事態(これ本当にどうかと思う)が発生したりしていますが面倒なので省略します。

 

春学期は本当になにもできませんでした。先輩方はいろいろ考えていたようで、Zoomであかとんぼ紹介の動画を撮ってTwiiter(死語)やインスタに公開したり、オンラインでのボランティアサークル説明会の準備をしていました。後者においてはお手伝いを募集しており、私も暇だったので参加しました。夏休みになり、皆Zoomに慣れ始めたあたりで、だれが言い出したかは忘れましたがオンライン飲み会が企画され、私も参加しました。そこで久々に皆に会えたのも嬉しかったし、オンラインでもある程度盛り上がれる!ということに気づきました。これに味を占めた私は、その後オンライン会企画マンになっていきます。オンライン人狼大会とか何回企画したんだろうってぐらいやりましたからね。

 秋学期になり、ある程度対面での活動が戻ってきましたがサークルは動かせないまま。やはり外部団体と関わることが活動のすべてと言ってもいい弊サークルができることはなにもないわけです。学童委員としてはまた電話の時期だったわけですが、「今年度は無理です」という電話も何回も繰り返す、というのは心が痛むばかりでした。なお夏合宿委員については一ミリも動くことなく終わってしまいました。残当

それでもできることを!ということで先輩方は新歓活動に精を出します。その結果なんと10人を超える入団者を呼びます。…これは本当に凄いことであると思います。なにせ当時のあかとんぼは「情勢的に今後いつ動き出すか何もわからない団体」でしたから。その中であれだけの功績をあげた先輩方の新歓スキルは本当に目をみはるものがあったと思います。新歓ブースでの対応がめちゃくちゃ良かったという声が多くあったのを記憶しています。あとSNSの運用がめちゃくちゃ上手いな…と思った記憶もあります。

私は新歓ブースでの新歓こそ参加しませんでしたが(どう考えても僕は向かないだろうな…と思っていたのでパス)オンラインでの新歓には参加しました。そもそもがコミュ障なためたいした働きはできませんでしたが、モブとして新入生と戯れるのは楽しかったです。確定新歓にも参加し、男共の命名にも携わりましたが、ろくな名前が思いつかず、中々決まるまで時間がかかりました。やっぱりあれは酒飲みながらノリで決める!って文化が一番いいんだろうなあ…と思います。最近はそれがないからただただ可愛い名前が多くて面白みが足りないんですよね。もっと尖れ(老害的発言)

そんなこんなやっているうちに季節は本格的に秋。幹部交代の時期がやってきます。僕らの幹部決めの任命権は私達に委ねられたようで、幹部を決める(当時)2回生だけのZoom会議が開かれます。夜の実施は厳しいということで時期は10月末、ド平日の昼休みです。今考えるとかなり攻めてますね。

幹部と言っても役職は多々あります。代表、副代表、会計、書記、広報。これら5つの役目を9人(この時点で実質8人)で分担することになるから大変です。私は同学年の中でも活動に参加しているほうだという自負を持っていましたから、何かしらの役職に就くことにはなるだろうな…と前々から考えておりました。その中でなにをやりたいか、と考えた際に、まず会計だけは絶対にやりたくなく(レシートの管理とかどう考えても僕に務まる仕事ではない)、書記はデザインセンスがなく字も汚いのであれ、広報はLINEの返信が遅いことを考えると難しいだろうな、ということで代表か副代表かな、それならいっそのこと代表やるか…とか考えておりました。

当日は授業が対面でありましたので大学に居ました。昼休みに丁度おおぞらぶっとびボーイと商談(たぶん合法)があったのでそれを済ませ、その後帰ろうとするのを引き留めて同じ部屋で会議に参加させました。

まあ中々自分からやりたい!と言い出す奴もおらんだろうし今回だけでは済まないだろうなと思っていましたが…かなりサクサク進みました。まず会計、書記、広報の三役が音速で決まり、代表に至ってはなんと私含め三名が立候補しました。私は三人目の立候補であり、ほか二人が立候補した段階でこの二人に任せるのもありかな…?と一瞬思いましたが、いやでもこのツートップ危険な匂いがするな…ということで立候補しました。

三人立候補したということで、誰かが代表に、ほか二人は副代表になるわけです。というわけで誰がトップになるかのアピール合戦が始まります。「自分は他団体で培ったノウハウをいかすことができる」だの「自分は今までの活動の経験値が違う」だの大騒ぎしていましたが、最終的に決め手になったのはおおぞらぶっとびボーイが「参加率が高く大体全部知ってそうなみすたーがいんじゃね」と僕を推したことでした。彼の発言にどれだけの価値があるのかわかりませんがなぜかそれで皆納得したため、私が代表になることになりました。ここまで僅か20分ちょい。いくらなんでも早く決まりすぎだろ弊代…と思っています。

あれから2年経ちますが、僕がトップに立って良かったよな…、と思っています。代表副代表はそれぞれ向いている方向が違うこともあり、ちょくちょく意見が食い違うこともありました。その中で私はどちらかというと中道的な立場(と私は勝手に思っている)だったため、空中分解しすぎることなく済んだのではないか、と思っています。

なお私を推挙した件に関しまして某氏は永遠に「これがあかとんぼにおける俺の最大の仕事といっても過言ではない」と騒ぎ僕に感謝を求めてきます。確かにありがたかったですがお前の最大の仕事は🥕をあかとんぼに勧誘したことだろ、と私は思っています。

 

というわけでみすたーさんには代表という箔がつきました。次回以降は代表目線の裏話をのんびりとしていこうと思います。