グッバイみすたー⑪

前回の続きです。代表任期満了。2022年の到来です。

 

年があけてまずやることとしては役職のしっかりとした引継ぎになります。

代表引継ぎ業務ですが大きくまとめて以下のものがありました。

・顧問の教授との顔合わせ

・ボラ団引継ぎ会議

・代表副代表おしごと説明会

 

顧問の先生との顔合わせは例年四月、年度の活動申請を提出するときに行います(活動申請の際に顧問作成書類を受け取りにいくためです)。先年度はコロナで大学対面授業がまた止まったこともありよくわからない時期にやりましたが、22年度は無事4月におこなうことができました。顧問と顔合わせすることなど本当にこれだけなので少しばかり緊張しますが、肝心の面会は数秒で終わることもザラなので大したことはないです。

ボラ団引き継ぎについては年(というか猿山の担当者さんや学生スタッフの手腕)によってそのクオリティが違い、先代→弊代のときは対面で結構しっかりやりましたが弊代→次代の時はオンラインでざっくりとやっていました。対面開催の時は各団体が活動の説明などを担当するため大変そうだった(なおあかとんぼは例年最初のアイスブレイクを担当し「船長さんの命令」をやっていた)のですが、この時はとくに出番はなく、ただオンラインで話を聞いているだけで引継ぎが終わりました。というかあの会僕出席しなくてもよかったよな…?

最後に代表副代表おしごと説明会。我々は資料を簡単につくった(というかほぼ去年のやつを横流しした)うえでLINE通話で説明しながら引き継ぎ、という手法をとりました。話自体はオンラインで片付くのでいいですが旧幹部と新幹部の密な関係を構成するなら対面、BOXでやってその後ごはん食べにいくってぐらいが資料もあるしで丁度いいと思います。

代表引継ぎ、割とあっさりめにやったような気がします。やろうと思えばしっかりとした資料を作ることもできた(なお次代は本当にしっかりとした資料を作ったらしい、やはり代表というものは偉人である)のですが大したことやってないしコロナ禍明けたらまた体制がらっと変わるしでそこまでする必要もないかな…と思っていたからです。なによりその時点で新幹部とはやたら仲良しになっていましたからね。何かあったら聞いてくれるだろうしその時に個別で答えればいいや、と思っていました。実際ちょくちょく相談事には乗っていました。

先の記事でも述べましたが、前年末から私は後輩たちとの関わりを増やそうと躍起になっていました。初期の頃は割と頑張って話しかけていましたが、予想を遥かに超える懐かれようであり(某学童バイト等で後輩に会う機会がめちゃくちゃ多かったのが要因のような気がします)、この頃には義務感もすっかり消え自然に楽しく大騒ぎしていました。俗に言うみすたーちるどれんはこの時期には既に成立していたと言えるでしょう。

 

というわけで本格的に新体制になったというわけなのですが、私は自身の身の振り方を今一度考えなおす必要があるな、と考えました。それまでは代表ということもあり、好き放題前面に出て大騒ぎしていたのですがこれからは先代表として新体制を支える立場、あまり前面に出ない方が健全なサークル運営のためにはいいだろうな、と思っていたからです。それはそれとして活動に行かない、という観念は一ミリも持ち合わせていなかったので、「いつも活動にいて、とはいえ前に立つこともない最強の数合わせ要員」というのを理想として、活動に取り組もうとしていました。この当初は。

しかしその理想は、あまりにも早く夢物語であることに気づかされることになります。3月初旬、2年ぶりに復活したあかとんぼカーニバル(節分は人数制限のため行けなかった)。出しゃばらないように後方から写真撮影に徹しようとした私が目撃したのは、どうしていいか分からず自分から動けないでいる下級生と、それにイラつく上回生の姿でした。実際その時の反省会は結構辛辣な意見が飛び交いました。

 よく考えたらこれまた当然のことです。いくらチルコンを乗り越えたとはいえ、外部での対面活動は経験がない1・2回生。新体制になろうが委員になろうが、経験値でいうと一回生の最初の時期となんら変わりないわけです。一方上回生は豊富な経験がしっかりと残っており、さらに偉大なる先人の姿を見てきたことから「各種公演では一人一人がこんな感じに動くんだ」というものを割と一般常識なものとして捉えてきた(これについては私もその傾向がありました)ため、言ってしまえば「当たり前のことができない」ことに対して不快に思うのも仕方ありません。特にもうすぐ団を去ることになる4回生からすれば、自分たちが居なくなった後大丈夫か、とこの後の団全体について心配してもおかしくない、そんな状態でした。

 これはかなりまずいことになるかもしれない、と思いました。下級生は経験がない状態。これは誰が悪いわけでもないし仕方のないことです。とはいえ前面に立たせるのは流石に荷が重すぎるため、当面は上回生が主軸として動いていって、下級生に「こうあるべき姿」を見て会得させていく必要があります。

この時点では卒論をも終え本当に自由になった当時の4回生がいるとはいえ、彼らの卒業も秒読み段階。そこから先は弊代が唯一の「コロナ前の活動を知っている代」として、下級生たちを引っ張っていく必要があります。しかし我々もこの時期は絶賛就活真っ最中。動けと言われても中々難しいわけです。思い返せば私があかとんぼに入団した4月当初も、4回生はほぼほぼおらず、2回生3回生が主軸となって活動していました。つまりこの先春になった際、「引っ張っていけるだけの経験組がまったく存在しないうえでの活動」がおこる可能性があるわけです。

 この件における私がとれる解決策はただ一つ。主戦として活動に参加しまくることです。幸い私は教職勢、教育実習&試験こそ控えますが、全国津々浦々を練り歩き就活に勤しむわけでもありません。勉強や準備もありますがそんなものは活動時間外にやればいいだけのことです。そして私は(五児文こそ経験が薄いですが)1回生の時しっかり活動に参加し、模範となる先人の姿を目に焼き付けています。長らく続いているあかとんぼの伝統を後輩たちに伝えるために、そして各種訪問・公演の復活を待ちわびる子どもたちのために、ここから先の活動、特に弊代の参加者が見込めない際はなんとしてでも参加するようにしよう、そしてしっかり前に立って他のメンバーを導ける存在であろう、と考えを改めたのでした。まあそんなこと考えなくても活動にはほぼほぼ参加していたとは思いますが…。

 

 身の振り方を考え直したところで取り敢えずは血の入れ替え、卒製&新歓です。卒製においては私もお客様ということで、贈呈花関連でちょっと働いたこと以外は特に何もせず普通に楽しみました。求められた時のために送辞は一応したためておきましたが時間がなかったため世に出ることはなく終わってしまいました。残念。

 そして新歓。新歓実行委員(結局はサルによる烏合の衆)主催の合同新歓は参加ませんでしたが(例のメディア錬成団体が新歓で人員確保しないと団消滅の危機だったためそちらに行きました)、独自の花見新歓(なお時期的にまったく花見にはならなかった)、そして確定新歓にはしっかり参加しました。確定新歓では久しぶりに名付け親になったり(3回生の時は総合司会で忙しかったためか名付け親になることはありませんでした)、花見新歓では唯一の4回生としてやたら多かった新入生男子連中と戯れたりと中々楽しく過ごせました。特にここ数年は男子の獲得状況が芳しくない状態が続いていたので嬉しかったですね。

結果としてあの年は入団数が20を超えるというとんでもない快挙を成し遂げました。新歓等の手際も良かったため、「新幹部…さてはすごく優秀だな…?」といたく感動した記憶があります。ひとりひとりが絶妙に異なる信念を持ち、勝手に働きまくって結果を残していた弊代と違い、新幹部は幹部一同でものごとを考え、動くという特徴がありました。議論を重ねものごとを決めていったことで、道を踏み外すことなくしっかりと足元を固めていってくれたように見えました。

 

というわけで今回はここまで。次回は4年夏~秋、学童復活です。