グッバイみすたー⑨

前回の続きです。3年11月。佳境です。

 

Q:就活について何にも触れられておりませんが

A:何にもやっていないので触れるものもありません。

 

なーんか団内環境が悪くなっているような気がしてきた、その上そろそろ代替わりの時期、どうしてくれようか、という話です。それはそれとして先に秋合宿の話をします。

 

そろそろ泊まりでの合宿復活できないかな…?と思っていましたがまだ微妙、さらに例の寺での実施もまだ難しい、ということでなんと大阪市内の貸しスペースを使っての実施となった対面秋合宿(という名の交流会)。前回語ったように私が仕切るのもどうかなあ、と企画段階では思っていたので運営を某氏に丸投げ、自分は実家に戻って参加すらしない!という舐めた態度を取ろうとしていましたが紆余曲折あって(これに関しては誰が悪いわけでもない)当日の運営は私がすることになりました。それまでの施設予約やらなんやら全て任せていたうえで美味しいところを全部もっていった感じになったので若干の申し訳なさがありますがまあいいでしょう。でも君あの景品については本当にどうかと思うぞ?事前に確認して闇に捨て去ったからいいものの…。

当日のイベントについてもいくつか用意されていましたが「ピンとこない」などという中々な理由で一部刷新、クイズに関しては一から作り直してしまいました。といってもいつもと違い対面開催ですからパワポ作る手間がかからないので楽勝。皆様にもしっかり楽しんでくれたのでなによりです。これに関しては本当に経験値が活きているな…と内心ニコニコしていました。なおこのクイズに関してはご丁寧にブログを書いていますのでそちらをご覧ください。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

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秋合宿、本当に良いイベントになったうえに、ああこの男本当に司会業が好きなんだなあ…という気づきも得ました。皆と一緒に大騒ぎするのももちろん楽しいですが、皆から一歩離れたところで皆を動かし大騒ぎするって方がもっと楽しい、そんなことを考えていました。秋合宿の時の幹部紹介の時に代表職の適性を「働くことを厭わず、根が真面目で、自己肯定感がバチクソ高い人物」と言いました(これについては全方向から自己紹介乙とツッコまれました。そんなに僕自己肯定感高いように見えるか?と思った記憶があります)皆を動かすのが楽しい!と思える、ってのも一種の適性条件なんじゃないかなあ、と思っています。

閑話休題、話を深刻な方に戻します。

だんだんギスギスしてきたチルコン、さて私は何をしたか、という話になるのですが…特段大したことは最後までできませんでした。理由は明白、音響があまりに切羽詰まっていたからです。フリーBGMを頼ればいいのにプライドが邪魔をし自作に拘った結果、結局本番当日に至るまで音響業は続いてしまいました。本来であればもっと演技指導のほう(ダンスについては僕が教えられることがあろうはずもない)に真摯に向き合うべきだったのですが叶わず。演技の時間を計ってそれをもとに曲を調整するなどやることは確かにあったのですが…という感じです。せいぜい全日活動に顔を出すことで「おう就活で忙しい(大嘘)はずの3回生が毎日練習見に来ているぞお前ら来いや」という圧をかけようとしたぐらいですかね。僕の功績って。あと隙を見て後輩たちと絡もうとはしていました。なぜか2年生のご飯会に巻き込まれたり(これに関しては後日同期から怒られが発生した、流石に反省した)こちらからも積極的に話そうとするなどはしていました。

本番当日も音響関係でトラブルが多く、ほぼ練習を見ることができないまま本番を終えてしまいました。リハーサルは本当にちゃんとした方がよかったと思います。さらに本番当日に鍵の施錠を忘れるとかいうトンデモクソガバ(これに関しては最後にチェックしたのが僕なので本当に自分が悪い)をかまし始末書案件を引き起こすという大失敗をかましてしまいました。

本番後、上回生オンリーのご飯会(そもそもこれ自体どうかと思う)で私を待っていたのは罵詈雑言の嵐でした。同じく居合わせてしまったハト派(適当)の先輩と「どうすんのこれ」という顔をしあいながらそれを聞き続ける時間はまさしく地獄。私にとっては1回生も2回生も、実質自分が代表になってから活動に参加し始めたまさしく子どものような存在。彼らのことを悪く言われるのは苦痛以外の何でもありません。なんなら同意すら求められましたからね、適当にごまかしましたけれども。

世代交代を直前に控えた今、上と下との関係が悪いのは問題です。さらにかなり長い間活動後の会食を禁じていたこともあり(正直過剰に言っていた部分もありますが代表として不始末からの活動停止だけは何としても防がなければならなかったため許して欲しい)上下の繋がりが少ないのが現状。少なくとも年末までにはある程度決着をつける必要があります。引継ぎと上下のコネクション作り、これこそが僕の当代代表としての最後の仕事になったのでした。

さて引継ぎですが、動き出したのは11月。先述した秋合宿の時に役職の発表を行いました。その後選考に入ります。僕らの時は見事なまでに丸投げされましたが、今回は2回生にアンケートをおこない、それを基に幹部が案を考え下におろす、という形態をとらせていただきました。そこまでの活動を通し、役員等の選任を本人達の希望に丸投げすることのリスクの高さについてよーーく理解していたことが主な理由になります。

というわけでアンケート実施しましたが…予測通りというかなんというか、代表職に立候補する愉快な輩は現れませんでした。他の役職の立候補はそれなりにあったため完全に手詰まり…というわけではありませんでしたが、どうしてくれようかこれ、という状況にはなっていました。

集めたアンケート、並びに現職の皆様の声も聴いたうえで幹部(弊代の幹部会議は基本的に代表+W副代表の3人でやっていました)で話し合うことになりましたが…これが中々難航しました。普段の幹部会議では意見こそ当初食い違うものの割とすぐに妥当案を見つけることができる(逆に言えば最初から意見が完全一致することはほぼほぼなかったように記憶しております)のですがそうもいかず、割とうんうん唸っていたように記憶しています。最終的には🫘のひとことがきっかけとなり皆様ご存じの体制でいくことになりました。

これは本当に彼のファインプレーだったと思っています。

 

というわけで新体制の大枠が決まりました。代表業もウイニングラン、というところで次回に続きます。