グッバイみすたー⑥

前回の続きです。今回は私が代表になったころ、つまり二年の晩秋からです。

 

ここから暫く代表のみすたー編になるわけですが、その前にまず私の代表としての基本的理念について話しておきます。

基本的には保守的であった、と考えています。コロナ前のあかとんぼをきちんと知っていること、そしてそれに大して不満を持っていなかったことが理由です。古き良きあかとんぼをそのまま受け継ぎたい、という思いが強かったため、あかとんぼの根幹を変える、ということがないように運営を行っていったと認識しています。

また、前回さらっと触れましたが、我々の体制では幹部(代表&副代表)3人がそれぞれ違う目線で動こうとしていました。ひとりは自分の体験を通し、「子どもたちのために」何ができるかという目線から。またひとりは大学のサークルとして「あかとんぼの一人ひとりのメンバーのために」何ができるかという目線から動いていたように感じました。そして私は「あかとんぼという団体のために」何ができるか、という目線で動いていました。一人ひとりのメンバーというよりも、50年近く続いていた由緒ある団体の灯を消さないように、ということです。そのためサークル活動がきちんとできるようになるために、猿山本部からのお達しなどは結構厳格に守っていたしメンバーにも守らせていたと思っています。楽しい活動よりあかとんぼ存続の方を優先した、というわけです。

…今考えてみるとこの三つの視点、「外にはたらきかける」「みんななかよく」「全体を豊かに」ってのは極端に言うと帝国主義、民主主義、共産主義という見方ができるようなきがします(帝国主義についてはだいぶ苦しいが)。私は共産主義を掲げていました(語弊)から当時のあかとんぼは赤く染まっていた、という見方もできるわけです。まあ弊団体の男共は上も下もちょくちょく共産ネタで盛り上がっていた記憶がある(誹謗中傷)のでそんなもんなのかもしれません。閑話休題

 

新体制の発表は確定新歓の時にあったと記憶しています。後輩たちにとっては自分たちを歓迎するパーティで幹部が変わってしまうということで、不安に思うのではないか、と少し心配したような気がします。

代表としての最初の仕事はボラ団(猿山にはいくつかボランティア団体があって、そいつらがまとまって新歓とか色々やってました)運営の引継ぎ会です。といっても何かすることがあった、というわけでもなく、ただただ集まって話を聞いていただけです。

対面での実施だったため、他団体の次期代表の皆様にも会うことができました。その人たちとは今後一年間ボラ団メンバーとして一緒に活動していくことになります。…が、その後一年間ボラ団の活動は100%オンラインで行われてしまったため、他団体の代表方に直接会うことはついにありませんでした。例年でしたら代表たちによるご飯会とかあったらしいですが…割と行きたかったので残念です。

次の仕事は学童へのクリスマスプレゼント送付。企画自体は先輩方が立案し、その運営を新体制が任される、という形になります。例年であればチルコンの時期ですが当然何もできません、というか丸一年子どもたちに対してなにもできていません。このままではみんなあかとんぼのことを忘れてしまう!ということでクリスマスカードとプレゼントを各学童に送ることになったのでした。

どうせならプレゼントは豪華なものに!ということで、各学童に贈るプレゼントはナンジャモンジャとキャット&チョコレートにしました。これを1クラス1ゲームずつ贈るわけです。当時あかとんぼは活動がまるでなく、使うはずであった予算が潤沢に余っていたため、このくらい奮発してもええやろ!と思っていました。予算なんてものはちゃんと申請すれば降りてくるものだ、と当時の私は思っていましたからね。

クリスマスカードのメッセージは直筆で書いてもらいたかったので、日程をいくつか決めてメンバーに書きに来させる、という形をとりました。おかげでほぼ全員と顔合わせをすることができたのはよかったと思います。特に1回生(当時)はまだ対面で誰にも会っていなかったため、こういう企画を通じて同学年の子や先輩方と話すきっかけを作ることができた、というのは良かったです。クリスマスカード表紙のイラストも完全手書きでした。今考えるとかなり手間のかかることをやっていたよな…と思っています。私は画力が足りていませんので先輩やら同期やら後輩やらフル動員して書いてもらいました。かなりいいものが作れたと思っています。

最後に指導員さんへの簡単な手紙もしたため、梱包&郵送。これが本当に大変でした。プレゼントの数を数えたり、学童の住所と郵便番号を調べたり…とやるべきことが多く、人員も多くいなかったためすごく働くことになりました。それでも17学童分完成させ、どうにかクリスマスに間に合うように郵送することができました。めちゃくちゃ疲れましたが、後日学童から愛のこもったお礼の手紙をいただいた際には「本当に…やってよかった…」と思いました。なんなら感動してBoxでひとり泣いていました。

年末にははじめてのZoom主宰行事であるオンライン交流会を行っています。あかとんぼのゲームを後輩に紹介するなどしましたが…あまり受けはよくありませんでした。オンラインでメンバーを満足させることの難しさを痛感し、そこそこ落ち込みました。

 

年明けて2月。新歓の準備がはじまります。代表の仕事は書類準備。配るビラやらなんやらを作成します(ビラは本来書記に回すはずでしたが〆切直前に気づいたので慌てて書きました、カスです)。準備するものがやたら多いし新歓実行委員のサル共(サルに対して誹謗中傷があったことをお詫び申し上げます)がどうしようもないせいで振り回されたりとそこそこ苦労した記憶があります。

並行してボラ団の合同新歓、ボラフェスの準備も始まります。こちらも運営を引っ張ってくれるはずの学生スタッフがだらしないことで話がろくに進まずやきもきしていた記憶があります。各団体の代表の皆様も(僕を含め)長いものに巻かれる性質をもっていたため、だれかが偶に発言したらそれがそのまま採用される、ということも多々ありました。引継ぎの際に先輩から「自分から動けばほぼ思い通りになる」とか言われていたのは本当だなあ…と思うなどしていました。

これらの体験から私は「学生主体団体の上層部はまるであてにならない」という考えをもつようになりました。しかし言ってみれば私も「学生主体の団体のトップ」。メンバーの皆様に同じようなことを思われる可能性は大いにあるわけです。そう思われないためにもこれまで以上にしっかりやらなければな…と気持ちを新たにしました。

2月頭には再びZoomでウィンターミーティングを開きました。メインの活動としては1回生(当時)の委員決めです。何も活動が出来ていない中でやりたい委員なんて決まるものなのか…?と不安に思っていましたが割とサクサク決まりました。有難い限りです。

またウィンターミーティングでは幹部共がそれぞれ1つゲームを考え、皆で交流するという企画もやりました。みすたー名物トンデモ難易度クイズはここからのスタートになります。

ちなみに僕がことあるごとにやりだすトンデモ難易度クイズですが、基本的には1回生の合宿の際にやっていたバラエティクイズがベースになります。ジャンルごとにクイズがあって皆で選んで答える、という形をとっています。難易度に関しては平均正答率50%ぐらいで作っていたつもりです。皆正解しちゃうと得点差がでなくて面白くないですからね。

問題については相当苦心しました。いつしか忘れましたが「全メンバーの人名総覧使ってその人にまつわる(まつわるとは言っていない)クイズでも作ろうか」と一念発起したことがあります。無事完成しましたがまあ地獄をみたような気がします。何も考えずに大量につくったことで、最後まで日の目を浴びなかったクイズというのも多く残っています。当時クッソ暇だったとはいえもっと働き方を考えた方がよかったのではないか、とは思っています。まああれ作るの楽しいし僕のためにもなった(クイズの内容は作成時点で僕も知らないことが多く、作成するにあたって結構いろんなことを調べて新しい知見を手にしていた)からよいことにします。

 

今回はここまで。次回は3~4月ぐらいまで書くかな?