前回の続きです。三年晩夏、チルコンからです。
なんだかんだ代表就任から9か月ほど。相変わらずいろいろと働いていた私はふと考えました。「これ…僕ばっかり動いていないか…?」と。
例年のメイン活動である学童訪問や公演の場合、メインで動くことになるのは毎週かわるがわる担当の学童当番や公演委員になります。公演はともかく学童に関しては毎回忙しい人が変わるわけですから特定の誰かに負担が集中する、ということはほぼないわけです。ただこの年は学童、公演、五児文、夏合宿という各委員がまったく動けず、その代わりとして幹部3人が色んな活動をほぼすべて企画運営していました。その長であるのが私でありますから、必然と私はありとあらゆる活動に参加して、なんなら指揮している、という形をとっていました。
皆様ご存じの通り私は相当の仕切りたがり屋なため自分自身はそれに満足していました。しかし同時に「これ私がいなかったらまずいことになるのでは…?」という危機感も持っていました。先輩方はともかく、同期の皆様や後輩に色々なことを任せる機会は代表任期中のどこかで必ず用意しておく必要がある、ということは割と考えていました。
そこに丁度現れたのがチルドレンコンサートでした。チルコンは本来下級生主体のイベント。さらに同期のチルコン委員が本当に信頼できる二人だったこともあり、これなら僕が動かなくてもなんてことないな!となりました。まあ結局一番動くことになっていたのは時の副代表であり、「幹部以外が活躍できる場!」の創造に成功したかと言われると…というところですがまあいいでしょう。
とはいえ歯車としては働く必要があります。チルコン最初の仕事は三回生による台本作成。我々は一人ひとつ台本案を持ち寄り、投票で決めるという手法をとりました。私も一案用意しましたが「ハッピーエンドにならない」ということで票が集まりきらず没となりました。そりゃ「枯れかけの花を再生しようと頑張るけど寿命には勝てなかった」みたいな話年の瀬には見たくないわな…。
採用されたのはおそらく🐰の案。そこから細かい肉入れが行われました。私も参戦し、主に終盤を担当しました。あの作品の終盤がやたらめったら重めなのは大体私のせいだと思っています。メッセージ性があった方が演じてて楽しいじゃん?
その後チルコン会議に先立って一回生のチルコン委員を決める会議。例年はある程度一回生の様子をみてから指名するのですが、一回生の様子を見る機会などほぼほぼありませんでしたのでもう皆で決めてしまえばいいじゃん!ということでこの形になりました。まあこれしかなかったと思います。
その後チルコン会議で役決めやら何やらがおこなわれます。私にとってチルコン会議ははじめての「今代におけるみすたーが主催しないオンラインミーティング」であったこともあり中々の違和感を持ちながら参加していました。一般平民というものはこれほどまでに何もしなくていいのか、ということを考えながらTwitter(死語)で実況して遊んでいました。
なおチルコンにおける役職ですが、委員との交渉の末音響&照明を単独で担当させていただきました。これもまた「自分が動かなくてもいい体制」のためにお願いしたものでした。どうしても小道具やら衣装やらの担当で複数人チームになると私が動くことになりますからね。完全個人業ということで指揮枠を他のメンバーにぶん投げることに成功しました。
練習会自体は時間が合えば毎回参加していました。当初はオンラインの練習ということで大丈夫か、と思いましたが以前に何度かプログラム練習会(完全に語り忘れていましたが春~夏にかけてちょくちょくオンラインで紙芝居の練習会をやっていました。紙芝居をデータ化する作業が非常に大変であった、という話を聞いています)で皆それなりに慣れていたのでスムーズにいきました。
秋学期が始まる頃になると対面での活動も可能、ということになり活動拠点が関大構内に代わりました。練習も対面主体になり、新歓会議室やらなにやら使って大騒ぎしていました。しかしどうも毎回の練習日の参加者が増えません。まあオンライン授業主体でとっている人などは大学に来る用事も少ないし仕方ないのかなあ…なんてことを考えながら練習を見にいっていました。といっても私は練習場所で音響の仕事をしてばかりであり、あまり周りの様子はみていませんでした。
チルコン本番(オンラインのため11月末)まであと一か月という最中、一通のLINEが届きます。1回生チルコン委員から届いたそれは、あまりにも辛いからサークルを抜けたい、というものでした。
それはあまりに衝撃的なものでした。今まであかとんぼを抜けていくメンバーは少なからずいました。しかしその理由は「そもそも合っていなかったことに気づいた」「別のことで忙しすぎてくる時間がない」といういわば誰も悪くないものでした。その中で「活動していくなかであかとんぼが嫌になって辞める」というものは、少なくとも私の知る限り前例がないものでした。詳しい事情を本人に聞こうとしましたがそれも叶わず、将来有望だったはずのチルコン委員は去ってしまいました。その後他メンバーに聞いたところ、どうもチルコン委員同士の連携がうまくとれておらず、辞めていった委員に過度な負担がかかっていたことを知りました。
先述のとおり、私はチルコンについてあまり深く関与しないようにしようと心がけていました。それ自体が間違っていたとは思いませんが、もし自分が困っている姿に気づき、何らかのアプローチがとれていれば、少しでも負担を減らすために動くことができていれば、このようなことを未然に防ぐことができる可能性は少なからずあったはずです。にもかかわらず私が目を背けていたばかりに、傷ついていくメンバーの存在に気づくことすら出来ず、結果として取り返しのつかないことになってしまった。これでは代表失格もいいところです。
さらにその後いろいろなところと話をしていくなかで、そしてチルコン練習に対する態度をめぐり、下級生と上回生の間で軋轢が生まれ始めているらしい(といっても上回生→下級生の一方的ないらつきではありますが)ということを認識することになりました。
確かに練習の参加率も、練習会の濃密さも、その年のチルコンは過去の(少なくとも19年度の)ものより劣っている、という印象はありました。しかしそれは本来チルコンまでに培われているはずだった日々のプログラム練習や公演での経験がない、つまり元々のあかとんぼの練習文化を知らないのが原因であり、むしろそれを正しく伝授できていない上回生サイドの問題なのではないか、と考えていました。私は練習会には足しげく通っていたにもかかわらず肝心の練習内容について我関せずの態度をとっていました。練習会の実態を知っていてなお動かなかった。それが原因で団内の人間関係にいざこざが起きているのだから、問題の責任が私にあるのは明白です。
自責の念に駆られた私は、やはり自分がきちんと動かなければいけない、前に立って動くことはなくても、団の代表として後ろから皆を支えていかなければならない、と思いを新たにします。
しかし禍いは禍いを呼ぶもの。時を同じくして私のパソコンがなんとクラッシュ、リセットを強いられます。今までのあかとんぼに関するデータは既に団体PCに移しており、授業に関するデータはクラウドに保存していたので事なきを得ましたが、音響に関するデータが吹っ飛んでしまいます。一か月分の作業データが無に帰してしまった、ということになります。これでは泣きっ面に蜂です。
代表満期を直前にしてやってきた危機、当時の私がどのように動き、そして次代にどうやって引き継いだのか、次回に続きます。