グッバイみすたー⑦

前回の続きです。2年の3月からです。


ようやく幹部というものが如何なるものかわかってきた我々幹部陣ですが、当時やっていた仕事は新歓やらボラフェスやら、どうしても大学内で完結するものばかり。大学からも対面でのイベント自粛要請は続いていましたし、情勢的にいますぐ学童訪問!ということもできるはずがありません。いい加減子どもたちに向けてまたなにかできないか、と考えた際に思いついたのが「動画を撮影して送る」ことなのでした。

ということで3月に練習のち動画を作成、四月末を目途にDVD郵送&Youtube限定公開という流れで計画を遂行しました。‥‥やたらあっさりしていますが実はこの企画、私ほぼほぼ関与していない(せいぜい学童委員として各学童にDVD環境あるか聞きまくったぐらい)んですよね。参加メンバーも二回生を中心にそれなりに集まっていましたし、何より当時の私は別事業でクソ忙しかった、というところもありましたからね。

結果として企画自体はまあまあ成功しました。味を占めた我々は「あかとんぼYoutuber化計画」なるものを考案し、皆様に色んな意見を仰ぎつつ動画制作企画を動かしていこうとします。「折り紙の折り方動画」「ピロンくんの出てくる動画」等、なんだかんだ秋に至るまで結構色々考え続けてはおりました。

話戻して、当時の私がなにで忙しかったのかと言いますと…卒製に代わる企画の運営です。当時の四年生はコロナ禍で本当に何も動けなかったなどの事情が重なり、卒製を実施しないという話を受けていました。さすがに何もないまま去っていかれるのはこちらとしても寂しい、ということでオンラインで何かしら企画することにしました。二部構成でおこない、一部ではいわゆる卒業式チックな挨拶やメンバーの皆様にお願いしていた卒業生に関するアンケートの集計発表、二部ではとにかく皆で交流してほしい!ということで会場をいくつかにわけフリートークスペースを設け、自由時間としました。当時の2~4回生はほぼほぼ参加していただき、先輩方も10人近く駆けつけてくれるなどとても和気あいあいとした空間を作ることができました。何名か先輩方が涙を流していたのが印象的でしたね。

この「あかとんぼ卒業式」の企画運営、わたくしの任期における一番よくできた仕事なのではないか、と思っています。アンケートの結果発表の仕方など総ツッコミを受ける場面こそありましたが(まあまあ反省している)あそこまで参加メンバー全員が満足できるイベントを用意できたのは本当によくやったと自負しています。ここに至るまで何度もオンライン会を企画運営し試行錯誤を重ねてきた中での実施であるため、相当経験値がたまっていた、という部分が大きかったのだと思っています。やはり経験はものを言うということです。

年度代わって四月。新歓シーズンです。まずはいつも通り対面新歓…なのですがこれまたあまり関与しておりません。前回の記事に書きましたが自分がいかに新歓に向いていないか、という点については重々承知しておりましたので基本的には後ろから支える、という形をとらせていただきました。現に新歓を見にいってちょっとブースの番をさせてもらいましたが速攻クビになったりしましたからね。初対面の相手には向かないんだよな本当に。

ただオンライン新歓はちゃんと働きました。広報と協力して団のSNSやメール等にきたメッセージに対応したり、Zoom新歓やらボラフェスやらを動かしたり、という点ですね。Zoom新歓は数回行いましたが正直ウケとしてはイマイチだな…という部分がありました。いくら色んな人と話せる機会を設けようとしたところで、オンラインでの実施だとどうにも実体感がなくて面白みにかけますからね。こればかりは仕方ないと思うと同時に昨年完璧に回し切った先輩方本当に凄いよな‥‥と改めて思うなどしました。

とはいえ粘り強く新歓を行い続けた結果、1・2年合わせて10人近くのメンバーを集めることに成功しました。いまだ活動に見通しがつかない中、これだけの人数を集めることができたのは、本当に広報が頑張ってくれたおかげであると思っています。弊団体の広報、毎年滅茶苦茶有能だよな…。

また、4月には2~4回生を対象にスプリングミーティングを行いました。意図としては新歓で新入生が入ってくる中、少なくとも上回生同士が初対面でギクシャクすることは避けたい!というものだったと記憶しています。今後の活動の流れを説明したのち、グループルームに分かれて色んな話を色んな人としてもらうことで関係の深化を図る、通称「トークトークトーク!」を行いました。それなりに好評でもありましたし、こちらも企画するのがとっても楽だということで、確定新歓等でも使い倒すことになりました。


六月になると対面での活動も少しだけ可能となったことから、もっと活動範囲を増やしていこう!ということになりました。ということで先述した動画企画を本格的に動かしていこう、ということになりましたが、そこで立ちはだかったのがハード面の問題でした。当時の団体にはまだパソコンがなく、ビデオカメラも古いものしかありませんでした。撮影自体は誰かしらのスマホでできますが、容量には当然限りがありますし、編集なども含めると大変です。それなら団共通のパソコン(とビデオカメラ)を買えばいいじゃん!ということになったのでした。

問題は財源です。どこかでお話ししたと思うのですが、あかとんぼには部費という概念が存在せず、予算の大半を関大からの助成金で賄っている、という財務体制をとっていました。しかしコロナ禍で活動が止まったことにより、関大のボランティア助成金のはたらきが完全にストップしてしまいました。前年冬に行ったクリスマスプレゼント企画においても「どうせ金はあとから降りてくるからええやろ」と考えていましたが結局降りてくることはありませんでした。大赤字です。

幸いあかとんぼは財務状態がそれはそれはよかった(毎年出ていた学祭の利益がそのまま溜まっていた)ためすぐに経営破綻、ということにはなりませんでした。しかしここからPC、ビデオカメラを買うとなるとどう見積もっても6桁の金が動くことから、すぐに買おう!ということもできませんでした。

そんな中、関大のボランティアセンターから外部団体の助成金の案内が届きます。大阪府福祉協議会が運営しているそれは、ボランティア活動に勤しむ団体にたいし、最大15万の助成金を出してくれるというこれ以上ないものでした。さらに前年度において関大内の他団体が助成金の獲得に成功しており、あかとんぼとしても5年ぐらい前に助成金を賜っているという、十分に通る可能性のあるものでした。

このチャンスを逃すわけもなく、助成金獲得のための書類制作に勤しむことになります。…正直この作業、滅茶苦茶大変でした。大学を離れた、府の機構に提出することになる公的文書を何枚も書くのはとてもカロリーの高いことでした。ボランティアセンターに何度も書類を提出しては赤入れのち突っ返され、また書き直す、という作業は5度ぐらい繰り返されることになりました。幹部で分担して仕事すればよかったのですが、当時の私は色々あって、自分の悲しきモンスターに成り下がっていたこともあり、一部を他に回しながらも8割方自分でやっていました。先輩方も「助成金申請が一番大変な仕事だ」などと言っていましたがまさしくその通りでした。

とはいえなんとか助成金の申請がとおり、弊団体には15万という大金が入りました。そのお金で無事、パソコンとビデオカメラを購入することに成功しました(なお購入に関しては当時3回生にPC関係有識者がいなかったため、店の人に任せて購入したと聞いています。某氏の存在を早くから知っていればもっと上手い買い物ができたのでは…?とは思いますがこればかりはどうしようもありません)ようやく動画企画が始まる…!と思っていましたが時期は既に晩夏。そう、チルコンのお時間です。

ということでここまで陰で動き続けてきた動画化企画ですが、結局実施に至ることは一度もありませんでした。理由と致しましては「メンバー同士が簡単に集まることができなかったこと」「実施場所に強い制約があったこと」「動画編集班がまあまあ不足していたこと」「企画自体はまとまっていたけどいつやるかが未定であり、そこから多忙等で動かせなかったこと」「そんなこんな言っている間にチルコンが始まり皆それどころではなくなったこと」などがあげられます。まあ最終的にチルコンでPC等フル活用することになったしよいこととしますが、正直何かしたかったよな…という思いもあります。特に二年秋は活動もだいぶできるようになっていましたし、チルコンと並行して動く、ということも(ほぼ上回生のみになりそうだが)できた可能性はありましたからね。クソ忙しくなるのであれですけども。


と言うわけで今回はここまで。次回は波乱万丈三回秋。代表引退まで書けるといいですね。