グッバイみすたー③

前回の続きです。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

 

今回は1年夏休みのことを記憶に頼りに綴っていきます

 

なお当時のわたくしは当然ながら一般平民だったため運営的な所には1ミリも触れられませんのでよろしくお願いします

 

まず7月くらいに1回夏合宿の説明会があってしおりが配られたような気がします

夏休みでは定例学童のようにプログラム上演もあったので練習会も開かれてました、ただ僕は夏休みは実家でゴロゴロすることに命を懸けていたためプログラムメンバーからは外れていました。

 

8月は2回花火大会に行ってます。1回目は神戸の花火大会、同期の皆様とですね。前回辺りで書いたように私は同期の皆様と話す機会がろくになかったこともあるのでこの企画はとても助かりました

なおこの時点で同期のふるい分けはほぼ完了していました。開幕時点で同期は自分を含め13人くらいいたと記憶していますがこの時点でまあ残るのは9人かなあ…という実態にはなっていました。その後メンバーが増えることもなかった(コロナ禍の影響がデカいが二回生開始時点で誰一人増えなかった事象は今考えると相当レアなことのように思われる)ためほぼ2019組の基礎的な体制はこの時点で完成されていたということですね。

2回目は淀川のクソデカ花火大会です。これは毎年恒例だったらしく河川敷にでっかいブルーシート引いてOBOG含めみんなで大騒ぎしていました。大学生してるなーって感じでしたね。カマキリ見つけて騒いでたことぐらいしか覚えていませんが…。

 

しかし改めて考えるとこういう感じで平然とOBOGと交流できるサークルというのも中々珍しいのではないかと思っています。とてもよいことです。ここ数年はコロナ禍ということもあり中々こういう交流の場がありませんでしたが昨年度からちょくちょく復活してきたような気がするのはよいことです。縦にやたら広いサークルというあかとんぼ特有の特徴をこれからも絶やさずやっていってほしいと思います(老害度の高い発言)。

 

さてお盆も明けいよいよ夏合宿(なんか毎年恒例らしい小規模な保育園公演があったような気がするが行ってないのでなにもわからない)。会場は三重県にある某学童。かなり遠いので近鉄鶴橋に集合して電車で向かいます(なお幕等の荷物は別班がレンタカー借りて持って行っていたぞ)。貧乏大学生達は特急に乗るための金など無かったため快速にのって1時間半ほどの旅です。なんだかんだ初めて会う先輩が多かったので色んな話をしていたらすぐだったと記憶しています。

 

学童に着いたらまずお昼ご飯(コンビニで用意している)を買ってそれから子どもたちと交流。プログラムを上演したり外で遊んだり…ここまではいつもの学童と変わりませんね。5時になったら子どもたちも家に帰ります。

さて、夜ごはんのお時間です。学童の中で一日生活するわけですからご飯も学童内の炊事場をお借りして作ります。メニューはカレー。食材準備班が先行して食糧を買いに行きます。その間待機組は延長保育の子どもと遊んだり部屋の掃除をしたりとのんびり。

食材準備班が帰ってきたら早速調理に取り掛かります。といってもカレー作りにそこまで人員が必要というわけでもありませんから暇人たちはその間にお風呂を済ませます。学童内には流石に風呂はないため近所の銭湯まで車で行って入浴。帰りに明日の朝と昼をスーパーで調達したら学童へ。夕飯の時間です。

夕飯後は明日の準備やらミーティングやらをすませたのち、持ってきたボードゲームでバカ騒ぎした後就寝。寝具はもってきた布団か何かを引いて寝ます。(私はキャリーケースの中に敷布団詰め込んで持って行ってました。人によってはマットとか寝袋とか持ってきていたような気がします。)

 

一日目は全員同じ学童へ行って全員で寝泊まりしましたが、二日目以降は残留組と別学童に行く組で分かれます。私は残留側。

二日目のメイン活動は工作。夏合宿委員が考案した、暗いところで光るプラネタリウム(のような何か)を作ります。基本的にメンバーは子どもたちが作るのをサポートする役目。カッターナイフを使う危険なところなどはこちらで対応します。大体2時間弱ぐらいで完成までこぎつけたはずです。いい感じの出来であり、子どもたちも喜んでいたように思います。

 その後はいつも通りおやつ食べたり外で遊んだり中で遊んだり。丸一日一緒にいるわけですから普段の学童よりも多くの子どもたちの名前を覚えることができるなど楽しかったです。 

  子どもたちが帰った後は夕飯。二日目の夜は近場の商業施設内のご飯屋にグループごとに行きます。男組は全員でしゃぶしゃぶ屋へ。真夏なのになんで鍋食ったんだっけ…?ついでに風呂と翌朝の買い出しも済ませます。

 三日目は朝子どもたちに会って少し過ごしたらすぐさようならの時間です。最後に全体写真を撮って退去。電車に乗って解散、というわけです。

 

これが私の記憶の中にある夏合宿のあらましです。本当は写真を見せるなどできればよかったのですが、私は基本的に写真撮影を他人に一任するカス(だってどうせ誰かが写真とって全体に流してくれるんだから態々僕が撮ることないじゃん…)なためデータが残っておりません。まあ現役のみなさまは全体LINEのアルバムをみれば大体残っていると思いますのでそれを見ればいいと思います。

 

また、僕が知っている限りの夏合宿委員の仕事として、

〇学童側へのアポ

〇大学に何らかの申請を出す

〇事前に下見をおこない学童と打ち合わせをする

〇訪問後撮った写真をアルバムにし、学童へ郵送

〇夏合宿のしおり作成、説明

〇三日間にわたる全体指揮

〇プログラム練習会企画、監督

などがあげられます。特に7・8月あたりは大変そうだったように思います。

なお実は私も二年次、夏合宿委員でもあったはずなのですが、二年次夏なんぞ活動どころではなかったので何も動いておりませんし、そもそもまともな引継ぎすら受けておりません。何かあったら僕より上の代に聞いた方が早いような気がします。仲介ぐらいはします。

 

色々書きましたが夏合宿、とっっても楽しかったです。同期とも距離を縮めて打ち解けることができましたし(今となっては笑い話でありますが、私があまりにも活動に参加しまくっているせいで一部同期には自分が先輩だと間違えられていて最初敬語を使われてたのは面白かった)、先輩方ともいままで以上に仲良くなることができました。今後の夏合宿がどういう形になるかはわかりませんが(なんか聞いている感じとても陽キャサークルの方に舵を切っているらしいな)、是非トライしていってほしいと思います。

 

 夏合宿が八月末。子どもたちは学校が始まりますが暇人大学生たちにはあと三週間猶予があります。9月の学童訪問はやることこそ一緒ですが普段参加できないメンバーもいるので割とにぎやかです。そして9月の半ばにはチルコン会議。新歓会議室で台本の初読み合わせや配役決め、上回生の係決めなどを行います。チルコンに関しては言いたいことが山ほどありますので後日クソデカ評論をあげるつもりです。

 

 というわけで今回はここまで。次回は一年次秋~コロナ襲来ぐらいまでいけたらいいなと思います。

なおクソデカ事業チルコンは別で、学祭は僕ほぼほぼ関与していないのでそれ以外のことについてがメインになると思います。