グッバイみすたー ⑯終

前回の続き…というか今までのまとめみたいなやつです。

 

半年以上かけながら私の四年間の行いを振り返りつつ言語化してきたわけなのですが、まあめちゃくちゃ楽しかったです。元々考えなどを言語化するのが好きな人間(だから今なおTwitterに居残り続けているしこうやってブログもちまちま書いている)でしたから書くことも苦にはなりませんでしたし、書く中で思い出したことや気づいたことが多かったのもよかったです。ただ書く中で自分の表現力の拙さ、語彙力の乏しさに嘆くことも多々ありました。どうにかしたい。

そういえばグッバイみすたーを書き始めた理由ですが、ざっくりいうと「コロナ前のあかとんぼ文化の継承&自己の行動原理の言語化」になります。特に前者の意味合いが強いですね。我々の卒業によりコロナ襲来前の活動を知るものは完全に居なくなりますから、それらをきちんと継承することは我々の責務なわけで。在学中にも意図的に昔の話を出しまくっていました(よく考えるととんでもない老害ムーブであるがしゃーない)が、もう一押しなんらかの形で残す必要はあるな…と考えていた点はあります。

後者については特に代表期のことについてですね。環境は違えど「以前の代表の時にはこのようなことがあり、このように考えたからこういう風に動いた」ということを記録に残すことは、歴史上なんらかの価値を生み出すだろうな、という考えから成り立つものです。

連載の中でだいぶ黒い部分もを書き連ねたのもそれに価値が生み出される可能性を信じていたからです。ただ割と包み隠さず綴ってしまったことで関係各所にだいぶ不安や動揺を与えてしまったという点については申し訳なく思っています。

 

さて、総評ということで、執筆の中で気づいたみすたーという生き物の本質についていくつか述べてみようと思います。所謂自己分析というやつです。取り敢えず気づいたことを3つ挙げてみます。

まず一つ目、本当にこの男、「自分のやりたいこと」しかやってないなあ…という点。これは代表就任後に顕著ですね。なんだかんだ団の行く末を決めることが出来る立場にあったので好き放題できた、という点は確実にあるのですが、それにしても「乗り気じゃなかったけど〇〇のためにやった」ということが清々しいほどなかった、ということに気づきました。改めて考えてみると私の四年間、「やらなかったorできなかったことで後悔したこと」は星の数ほどあっても、「やって後悔したたこと」がほぼほぼないですからね。

次に二つ目、あかとんぼに対する愛がまあ重いな…ということ。まあこんな記事書きまくっておいて重くないわけがないと言われればそれまでなのですが、書き連ねていく最中で「こいつ本当にあかとんぼのこと好きだな…?」となりました。

じゃあなぜここまで好きになったんだろう?という話なのですが、やはり一回生初期に積みまくった経験値が生きているんだろうな…と考えています。妻女版から生きまくったことで偉大な先輩方のプログラムを生で見ることができ、そして一緒にやることができたこと、毎週のように活動後夜ご飯をごちそうになることで、先輩方の色んな姿を見ることができたこと。そしてなにより「子どもたちに名前を覚えてもらえること」の嬉しさを超初期の段階で体感することができた、というのが大きかった。あれがあったから「この先も学童に行きたい!」ってなりましたし、その思いが「自分が大学生のうちに学童を復活させたい!そのためにあかとんぼの活動を活性化させたい!」という思いを生むことになりましたからね。あの日緑地公園から帰っていなければ、あの声を聴いていなければ、ここまでやることはなかったんじゃないかな…?と思っています。

覚えてもらえることの嬉しさ、という意味ではバイト先の子どもたちの存在も大きかったですね。コロナ禍で活動が止まった中、初めてアルバイトとして学童に赴いたときに、「あかとんぼのみすたー」との再会を喜んでくれた、というのはとても励みになりましたね。最初は定期学童が復活したら辞めようかな…と思っていたのですが結局卒業までの二年間半の間お世話になりましたし(まあこれについては4回後半になって態々新しいバイト始めるのもな…と思ったところはあります。もう半年復活が早かったら学童訪問の時に勧誘してくれた他の民間学童に移籍してた可能性は相当高かったと思います)

まあとはいえ愉快なOBOGの皆様を眺めていると皆様同じようにあかとんぼ大好きな気がするので(でなければ大人数で押しかけてプログラムの映像撮ることもないし学童訪問にゲスト参戦しないしあかとんぼ題材でワードウルフしないしクリスマスパーティ開かない)愛の形が違うだけで本質的には皆同じようなもんだと思っています。多分。

最後に三つ目。「こんな奴絶対に同じ職場で働きたくねえな!」という点。これは社会人として生きてくる中で気づいたことなのですが、この男中々面倒くさい生き物だなあ…ということです。勝手に仕事は増やすし、それ殆ど一人で抱え込むし、何か自分のこと凄い奴だと思っているからプライド高いし、コミュニケーション苦手なくせになんかひたすら絡もうとしてくるし…。あとこれは在学中から各位に言われ続けたことなのですがこの男社畜適性が高すぎる。本当に今の職場がホワイトでよかったよ。

特に上司には持ちたくないタイプですね。ええ。これから気を付けようと思うと同時に、このような人間と遊んでくれるちるどれんの皆様どういう神経しているんだ…?(誉め言葉)と思ったりもしています。

 

以上三点。まとめると「みすたーという人間はあかとんぼにクソデカ感情を持っている面倒くさいオタクである」と言えるでしょう。…態々まとめる程でもなかったですね。

 

最後にまとめらしいお気持ち表明をして終わりにします。なおほぼ同じようなことを卒製で話したしホワイトボードか何かに残したような気もします。

 

この5年の間、環境の変化等によって、サークルの文化は多大な変化を遂げました。そして来年あかとんぼは(僕の記憶が正しければ)50周年の節目を迎えることになります。その先で、今まで通りの形に戻るのか、それともまた別の形で動いていくのか。発展するか衰退するか、これは神のみぞしること、愉快なOBと化した私にはどうすることもできないことです。それでもなお、僕の大好きなあかとんぼがこれからもずっと、子どもたちに、地域に慕われる、活気あふれる団体であることを願うばかりです。

 

グッバイみすたーこれにて完。お疲れさまでした。ありがとうございました。

グッバイみすたー⑮

前回の続きです。みすたー最後の日。

 

さて、卒製当日について話す前に、卒製の時に用意したメッセージカードについて触れておこうと思います。前の代の代表が卒製の時、同期メンバーの一人一人に手紙を書いて渡す、という実に感動的な事象がありました。それ自体に私も感銘を受けていたため、自分もやるか~…とは前々から思っていました。さらに卒製が近づくと周りの愉快なOBOGの皆様から「書くよな?」という圧がちょくちょく飛んできていたため、何か手紙を用意する、ということは決めていました。

しかしいざ書く!となると同期以外のメンバーについても書きたい、という思いが出てきます。特に代表引退後の1年ちょっとの間、私は同期より遥かに多くの時間を愉快な後輩の皆様(俗に言うみすたーちるどれんの皆様)と過ごしており、かなり仲良くしていただいていたため、その子たちにも書きたいな…とまずなりました。しかしここで問題となってくるのが、書くメンバーとそうでないメンバーの分別。バイト組のみだと下の代表などが外れますし、家に来たことがなくてもBox等でかなり仲良くさせてもらったメンバーも多いです。思い出深いメンバーで考えると…みんなと思い出があるな…、ということで、じゃあ卒製に来てくれる皆にメッセージ書こう!と思い立ちました。そうしたらOBOGの皆様にも書くことできますからね。これが卒製二日前、遠足前日の晩のことです。今考えると死ぬほど計画性ないな?この頃の私。

 

一人一人にメッセージを書くにわたり、まったく同じ文章は面白くない!ということで、各メンバーに沿った文章を考える必要がありました。幸い私はアホみたいにサークルに顔を出していたため「この人とあんまり絡んだことないから思い出があまりないなあ…」ということにはならず、一つ一つの文章自体は5分ちょい、長くても10分あれば作ることができたのですが、問題はその人数、40人ちょいいるわけで。単純計算考えるのだけで3~4時間ぐらいかかるわけです。「これ間に合わなくないか…?」と危惧していた私は深夜まで作業を進めていった結果、そこそこ寝不足の状態で遠足に臨むことになりました。現地で「今日のみすたーはだいぶ顔が死んでいる」と各所に心配されましたが大体そのせい(あと連日朝から晩までBoxに籠って騒いでいた弊害)だと思います。正直ご飯会はパスしようかな…と思っていたのですが、私以外皆参加!というのも格好悪いので参戦しました。いい気分転換になったし楽しかったので良いこととします。あのメンバーでご飯に行くと美味しいメニューもそうだし良い酒も知ることができるからいいんだよな。

ご飯会も解散し家に帰りついた(ありがたいことに会場が関大前だったので帰宅時間は早めだった)ということで、作ったメッセージをカードに書いていく作業が始まります。しかしこれが大変。小さい紙にぎっしりとメッセージを綴る作業ももちろん大変ですが、準備していたメッセージに文法やら思い出の勘違いやらが散見されたため、いくつか書き直しを迫られることになったのが本当に地獄。最終的に全員分書き終わり、梱包が完成したのは翌朝午前六時。当日集合は当然のごとく朝1だったため僅かな睡眠時間で当日に挑むことになったのでした。

正直最初から疲労困憊の状態で卒製に挑んだわけですが、卒製自体はとっっっっってもいい感じに仕上がりました。作った作品も盛況でしたし(つい最近某二次創作が近々学童訪問で演じられる話、さらに卒製当日のOBOG受けがものすごくよかったという話を某所で聞きました。スーパーウルトラ嬉しかったです)メッセージカードも喜んでもらえたのでよかったです。惜しむらくは卒製当日あまり多くの人と話すことができなかったことです。特に後輩の皆様。運営側の長という役割柄こうなるのも仕方ないわけなのですが、そこが最後の対面というメンバーもいるわけですからメッセージカードを渡して終わり!というだけではなくちゃんと話したかったな…とは思います。ただこうなったらこうなったらで逆に、文章という形でみんなに感謝を伝えることができたのは良かったな…とも思っています。

さらに卒製後本当に体力が尽きてしまったため追いコン二次会参戦を断念せざるを得なかったことも反省点です。嘘か本当か知りませんが私の不参加が決まったことで会自体が流れてしまった、という話を後日聞いたときは心の底から行かなかったことを悔やみましたがあの時点で相当身体にガタが来ていたので行ったところで動けなくなっていただろうし仕方がないと割り切ることとします。

 

なお卒製で作ったものに関してはこちらでまとめております。

 

gentmr9517tktms.hatenablog.jp

 

 

 

なお卒製翌日ですが、私は何食わぬ顔でBoxで作業をしています。以前より後輩から「使えるプログラム作品とそうでないものを分別してほしい」ということを頼まれていたのですが、卒製作業が多忙を極めたためできていませんでした。卒製の翌々日が卒業式ということで作業できるのはこの日しかない!ということでひとり実行に移しました。最後の最後にすべての出し物と対面していく作業は思っていたより楽しかったです。ただ卒業式前日にもなってBoxの鍵の閉め忘れをやらかすガバをかましたのは本当に土下座案件です。こいつ本当にクソデカ事業直後にやらかすよな…。

卒業式当日も作業は続きます。卒製で作った任用劇の台本製本が未完了だったため、私は印刷のためにBoxとITセンターを往復する羽目になりました。後にも先にも卒業式当日に印刷ポイント買いに行く卒業生なんていないと思うよ?

 

以上卒製関連のあれこれでした。いいですか次世代の皆さん。こういう何か大きな事業を実行に移すときは事前にそれが実現可能かどうか考えるべきです。ぜーーったいに納期直前になって動くことがあってはいけません。どれぐらいの時間がかかるか、どれぐらいの労力がかかるか、ということを事前によーーーーーーーーーーーーーーく考えてから皆で協力して行動してください。分かった?(某注意事項みたいな文章)

 

 

というわけで無事卒業。翌朝ちるどれんの皆様(と無事卒業できたおおぞらぶっとびボーイ)ちWBC準決勝観戦しながら大騒ぎしたのを最後に4年間過ごした我が家ともおさらば。岡山に戻って年度末に同期の皆様のありがたいメッセージの数々を見届けてから(個性豊かでとても面白かった)、LINEグループから離脱したことで、「あかとんぼのみすたー」としての生活はおしまい。

というわけで卒業までいきました。次回総評しておしまいです。

グッバイみすたー⑭

前回の続きです。2023年。卒製のお時間です。

 

さてお正月シーズンも終わり卒論を出し、いよいよ残すところは2月学童と卒製…というわけなのですが、卒製に関してはこの時点で一ミリたりとも動いていませんでした。同期の皆様は揃いも揃って計画性があり、卒論がある者も年末には大体仕上げていた印象があるのですが、よりにもよって座長である私の卒論が一向に終わらなかった(大概怠惰が原因とされる)ため、卒製の話を進めることがろくにできなかったのです。先年度は卒製の第一回幹部打ち合わせを年末に済ませていた、という話を聞いていたので私は少しばかり焦っていました。

本格的に動き出したのは1月下旬。日程調整を基にオンラインミーティングを開き、案出しをしました。そこでは最終的に作成したものはもちろん、「紙芝居用ケースの新調・補充」「謎解きゲームの増産」「各種台本のデータ化」などの案も上がりました。それらを踏まえたうえで後日もう一度オンラインミーティングを開催し、全体の方向性を決めていきました。この辺の会議をすべてオンラインで済ませてしまうところは実に我々らしいな…と思っています。まあ態々このために大学来させるのも申し訳ないし若干一名全国津々浦々していた奴もいるし、なにより時勢的に皆様Zoom会議に慣れきっていましたからね…。

なお元々のメンバー数が少ないのもあって会議参加率はめちゃくちゃ良かったです。某氏に至っては態々タイトなスケジュールの合間を縫って我が家に乱入し、会議に参戦する(なお本人の希望によりなぜか居ないことになっている模様)という意識の高さを見せていましたからね。

 

卒製と並行して、2月は学童や公演といった普通の活動もこなす必要がありました。この頃の私は「行けるものは全部行く」というスタンスを取っていましたので当然のごとくフル活動していました。某土曜の保育園訪問のみ人数調整の結果行けなかったのが心残りですがこればかりは仕方ありません。もう一度会いたかったよ、ジョバンニ‥‥。

2~3月の学童はどこも個性豊かで記憶に深く残っています。あかとんぼの訪問がある!ということを聞いて態々駆けつけてくれた上級生が僕らのチルコンのことを覚えてくれていたことに感動したり、火水木や靴取りひまわりなど、長らくやってなかった外遊びを久々に楽しんだり…。中でも最後に訪問した学童のことは鮮明ですね。プログラム・おやつ・外遊び・帰りの会と学童訪問の要素すべてを楽しむことができましたし、なによりアクシデントにより大幅にプログラムの時間を伸ばす必要があることが判明してから、僅か10分ちょいで完璧な対応をすることができたことは、当時のあかとんぼの集大成といえるでしょう。あの時のメンバー、みんな本当に本当に本当に優秀だったな…。

五児文への訪問も忘れてはいけません。2月3月は節分&カーニバル。特に最後の訪問活動となったカーニバルでは完全に新体制(当時の2回生メイン体制)になったこと、ほぼ1~2回生のみの参加だったことで少しばかり心配でしたが、私が特に何か動くこともなく見事にやり遂げるのを見て、ああこれは来年度以降も安泰だな…。と胸をなでおろしました。

 

 話を卒製に戻します。大体の方向性が決まったのは2月の半ばぐらいなのですが、実際に動き始めたのは下旬となりました。各々バイトやら旅行やら研修やらが重なりに重なったことで、大人数で集まって作業する日程がなかなか調整できなかった&プログラム練習等でBoxがあまり空いていなかったというのが要因です。まあしゃーない。

 とはいえいざ作業を始めてみると皆様優秀なもので、てきぱきと自分の仕事をこなしていきます。私は人形劇の脚本を錬成するのが役割だったのですが中々進まず(大方怠惰が原因である)それなりに迷惑をかけてしまったのが申し訳なく思えてくるほどです。不安視していた進捗もそこそこ見れるものになりました。あとは脚本の完成を待つのみです。…今考えると私がもうちょいまっとうに自分の仕事をこなしていれば納期だいぶ早めることができていたよな…と反省しています。

 

3月の10日頃、卒製まであと1週間といった具合でしょうか。私にはまだ色々やることが残っていました。ほぼ完成した人形劇台本を基に小道具やパペットの製作を進めたり、卒製当日の台本を仕立てたり、参加人数を集計したり追いコンどうするか考えたり…。さらにその当時、私はプライベート周りであまりにも色々なことがあり、心中がだいぶ荒れていた(なお大半は私が引き起こしたことなので自業自得と言える)ため、余計なことを何も考えず作業に熱中すべくBoxに入り浸っていました。その場には私一人しかいなかったため適当に音楽を垂れ流しながら作業していたのですが、とある新曲が私の心を揺らがせます。

曲の名は「Mr.Showtime」。某音ゲーの某推しユニットの新曲なのですが、その歌詞が突き刺さります。特に落ちサビ部分。以下歌詞紹介。

 

語り尽くせない おもいで星を 詰め込んだ風船 銀河を翔てゆく 夢を乗せて

まだ終わらない 終わりたくない それでもいつかは…… その日が来るまで

一層 踊り明かせ 歌い明かせ Stardust Parade果てない夢物語 演じようか、ドリーマーズ!

忘れやしない 嘆きやしない 「別れ」じゃないから 無謀な 愉快な 伝説は (Ah)

破天荒型 Step by Stepではちゃめちゃくちゃの ワンダホーイ! っと綴るのさ

Mr. Showtime

 

あと少しで「あかとんぼのみすたー」としての愉快極まりない生活は終焉を迎えることになるということ、それは逃れたくても逃れられない確定事項です。だからそれまで残る時間、残るすべての力を卒製に、あかとんぼのために注ごう。ひとりぼっちのBoxで半泣きになりながら私はそう決意したのでした。

なおこれはオタクの妄言でかつ前にも言ったと思うのですが、この「Mr.Showtime」という曲、歌詞がまんまあかとんぼのみすたー(と言うか我々の代)を指しているよな…と勝手に思っています。具体的には1番が1回生の頃、2番が2回生、代表就任前までの頃、2番間奏後が代表就任~学童復活まで、落ちサビが卒業直前、といった感じです。

 

なおこの時期になると存在する概念である「卒業旅行」ですが、行きたいよな~という話自体は年が変わる前の時点で出ており、その後も何度か話題にはなったのですが結局日程合わないよな~ということでまとまらず、最終的に卒製前日に皆でエキスポシティに遠足に行く!ということで話が落ち着きました(なおリハーサルの進捗がガバガバだったため遠足当日午前は普通にBoxで作業していた模様)。遠足当日は奇跡的に8人全員が揃う快挙を(因みに8人全員が対面で揃ったのは4年間を通して1年次チルコンリハーサル&本番、そして遠足&卒製当日の合計4日となっています)果たし、それなりに大騒ぎしていました。遠足後のご飯会は事前では行きたい人のみ参加!としていたのですが最終的に全員参戦したのは良かったですね。もしかしてこの学年本当は仲良かったのでは‥‥?と思うなどしました(これまで我が代のことを散々ビジネスライク集団と書き連ねていた代表の発言)

 

思った以上に筆が進んだので今回はここまで。次回卒業までやって、最後に総評で締めます。

グッバイみすたー⑬

お久しぶりです。前回の続き、4年秋学期。ついに学童訪問復活です。

復活第一回目の学童は新規学童。かなり遠いところかつ体験学童(結構多くの人が来てくれましたが結果として定着してはくれませんでした、残念)まであるということで先が思いやられましたが終わってみれば大盛況。やはりあかとんぼの学童訪問はバイトとはまるで違う楽しさがある、ということを再認識しました。

第二回目の学童は私が当番ということで主にプログラム配役で好き放題やりました。ずっとやりたかったあかとんぼレンジャーを(ピロンくんとはいえ)演じることができたのは嬉しかったです。こちらも新規学童ということで子どもたちの反応が不安でしたがこちらも盛況。これなら大丈夫だと安堵しました。

なお、この日は同期の皆様でUSJに行くことになっていました(日程決まったのは学童訪問日程確定が公になるちょい前)が、私は学童があるからとパスしています。大学生のうちにUSJに行ける最後のチャンスといっても過言ではなかった(結果として私は大学生活の四年間で一度もUSJに行くことができませんでした。大体コロナが悪い)ですが、まあ学童と天秤にかけるとなるとこの選択も当然と言えるでしょう。

 

第三回目の学童はバイト先の学童。8月にも訪問経験があったことで、両方参加したメンバーは「子どもたちに名前を憶えてもらえていた」という嬉しい体験をすることができました。

なお後日、バイトメンバーと学童の職員さんとで反省会が行われ、割とボロカスに批評された、といった事案がありました。それを基に緊急の有識者会議(当時の幹部をベースとした、参加率の高い面々が呼ばれました、無論私も招集されています)が開かれ、今後の学童訪問の在り方について議論がなされました。そこで浮き彫りになったのが、学童訪問の参加人数&参加率の問題でした。

学童訪問の参加人数については学童訪問復活時から問題としてあがっていました。毎回中々メンバーが集まらず、当番の皆様が苦労するという話はよく聞いていました。

そもそもコロナ前における学童に参加するメンバーは5・6人がほぼ固定、隔週~月1ぐらいで参加するメンバーが10人ぐらいいて残りが時たま参加、という状態でした。固定、隔週の人達はプログラムの経験も厚く、安定した学童訪問運営ができていました。新メンバーについても、何回かヒラメンバーで学童訪問に参加するなかでその楽しさを覚えてもらい、ゆくゆくは恒常メンバーに定着させる、という手法が効果的に取ることができている、という印象がありました。

1~3回生はまだ学童の「味」を知らない状態。どうにか楽しい体験を積んでもらい、リピーターになっていただきたかったのですがこれが中々上手くいきませんでした。1年生にも学童当番を割り当てた結果(これは仕方のないことであるとは思っています)、学童当番の面倒な部分を最初から知っていること、かつ色んな人にプログラムを経験してほしいということから、初期の初期から学童訪問ビギナーの皆様にプログラムを頼んでいたことで、学童訪問の大変な部分もまっさきに味わわせてしまったことが大きいでしょう。プログラムは好きな人間はいくらでもできますが、そうでないメンバーにとっては負担が大きいもの。これではリピーターも中々できません。さらに1~2年生はコロナ禍によって高校生活を大きく制限されている世代。定期的な課外活動というものに慣れていない部分も大きいように思います。私はいわば部活と同じノリで、毎週当たり前のように学童訪問に参戦し、そのために毎週プログラム練習をするのが当たり前だというトンデモ価値観を持っていましたが、そのような古い考えは現代の新入学生にはもう合わないのだということに気づかされました。まあ人にもよるとは思うのですが…。

もう一つ、団全体の経験値不足というものもこの問題に拍車をかけていました。私が入団した当初は周りの先輩方は皆歴戦の戦士たち、私も初期は「偉大な先輩方に守られている」感覚を抱きながら経験を積み、成長してきたわけですが、この当時は1~3回生がほぼ同じライン。歴戦の戦士が4回生しかいない状態です。我が学年はどいつもこいつも優秀なのでとても頼りにはなりますが、それでも頼りになる人が少ない、という点で「守られている」感覚を抱くのは難しかったのではないか、と思います。子どもたちに対してどのような接し方をすればいいのかわからず不安だし、周りを見渡しても頼りになる先輩が少ない、これでは楽しい味を知ることもなかなかできず、再び学童へ足を向けづらくなる、というのも仕方のないことです。

この問題について私が取れる対応策は一つ。自分が思いっきり他のメンバーを引っ張っていくことです。自分が絶対的な存在として君臨し、後輩をサポートしまくることで、少しでも楽をさせてあげよう、そして学童訪問に対して楽しい思いをしてもらおうということです。そのために必要なことは自分に自信をもつこと。いわば「私こそがあかとんぼのトップスターである!」と思い込むことです。

この意識をもつことは、私にとって大きな転換点になったと考えています。今までは経験者として皆様を導く中でも「これでいいのだろうか、自分が今までに見てきた先輩方のようにできているだろうか」と内心ビクビクしていましたが、その迷いを取っ払ったことで、今までよりもっとエネルギッシュに活動することができました。そしてその結果、今までより明らかに子どもたちの反応も良くなりました。あと明らかに自己肯定感が爆上がりしました。現在の私はあまり余って若干高慢ですらある部分がある、と最近それなりに反省していますが、「自分がスターだと思い込む」作戦、節度を守ればいいこと尽くめなので結構おすすめです。皆も心の中に天馬司を宿すんだ!

 

話を学童に戻します。11月以降はチルコンの影響もあり訪問も少なめ、さらに学童では縁日企画をあかとんぼ訪問に被せてくることもあり、プログラム上演というよりかは子どもたちと一緒に遊ぶほうがメイン。だったように思います。中には大規模学級を相手に外遊びを回したり、かなり多くの参加メンバーを集める必要に駆られたりするなど大変なものもありましたが、優秀な4回生を中心に何とか回すことができました。

12月には先年度の先輩が遺してくれた「謎解きゲーム」をようやくお披露目することができました。(紙芝居の方は春先の公演から散々擦り倒していました)子ども受けがすごくよく、こちらも進行していてとても楽しかったです。進行に物凄いアドリブ力が必要なのである程度ゲーム進行慣れしていることは必須ですが、一度経験しておくとすごく勉強になると思うのでお勧めです。年末には日程の都合上週に二回学童がある、というトンデモスケジュールに対面しましたが、卒論に目途がついたor終わらず現実逃避に来た4回生がやたらいたためどうにかなりました。同期って…凄いんだな…。

 

最後にチルコンのことについても触れておきます。やっていたことの大体は夏場に出したクソデカお気持ち表明(なお今年度の開催が見送られたことで本当に私の自己満足になってしまった模様)に書いているのでそちらをご覧ください。

先年度の反省を生かし、私は先の代表としてメンバー(特に主軸となって動くチルコン委員の皆様)のメンタルケア(というか悩みやら愚痴のやら掃きだめ口)に努めました。その役割を果たすことはある程度できたのではないか、とは考えています(活動にそれなりに言っておきながら1回生と話すことが少なかったのは反省点です。関りが少ない人と自分からコミュニケーションをとるのが苦手というのは最後まで変わりませんでした)。ただどうしても話を聞く専門になってしまっていたところはあり、もう少し適切な対話、アドバイスをすることができれば、チルコンはもちろん、その後の活動においても良い影響を与えることができたのではないか、と反省しています。

 

2022年も終わり、というところで今回はここまで。次回で卒業まで行くはずです。多分。恐らく。きっと。

 

グッバイみすたー⑫

前回の続きです。四回生五月、新体制も軌道に乗ってきました。

 

 さてこの時期、待ちわびていたニュースがようやくやってきます。学童訪問、復活です。

といってもこの段階では吹田市内の正式な学童への訪問は叶わず、小学校外に開かれていた民間の学童からオファーがあったということです。丁度そこで偉大なるOGの方が働かれており、その縁もあって練習も兼ねて訪問にこないか、ということです。やはり持つべきものは偉大なるOBOGとのコネです。

 というわけで学童訪問の開催が決定、当然私も参加…と行きたいところですが私は早々に不参加表明をしています。なんと教育実習と被っていたのです。こればかりは仕方ない。

 さてその学童ですが1~4回生バランス良く訪問が出来た、という話を聞いています。それよりも驚きたまげたことは、その訪問に丁度暇だったOB(私の5個上ということもあり当時のメンバーの誰とも現役被っていません、ただちょくちょく遊びに来てたので我々世代とはそこそこ仲良しでした)が参戦したことです。そこの詳細はよくわかりませんが4年間のあかとんぼ生活の経験を存分に発揮し現役メンバーを導き、さらに社会人の財力でおいしいご飯をごちそうしてくださったとのこと。とんでもない偉人、後世にまで語り継がれるべきです(ごますり)。

また、8月には2回学童訪問をすることができました。一回目は先述した民間学童、そしてもう一つは小学校内にある某学童からのオファーでした。私や後輩たちがアルバイトしているところですね。その頃の某学童は人手不足もあり全アルバイトの約半分があかとんぼ組、言ってしまえば傀儡お得意様なわけです。その縁もあって訪問再開にこぎつけたわけです。

私はもちろん両方参加、プログラムも担当し3年ぶりの対面練習会を堪能しました。アルバイトをしている某学童での訪問ではいつも見ている子どもたちがどんな反応をするかちょっとビビっていましたが、想像を遥かに超える大歓迎。子どもたちも、そして初めて学童訪問を体験しているメンバーも楽しそうなのを眺めながら、ああ本当にこれまでやってきてよかった、と少し感傷的になっていました。

 そしてついにその時が来ます。8月半ば、学童委員LINE(学童委員としての仕事はもうやっていませんでしたが、グループには残り有事の際には助言をしていました)に入ってきたニュースは、今年秋から対面での学童訪問が本格的に復活する、というものでした。ということで訪問の日程を決めたり、それに伴う学童当番を決めたりと学童委員は大忙し。あまりにも大変そうならお手伝いしようかな、などと考えていましたが結局は現役委員が完璧な仕事をしてくれたため(当時のキャップがそれはもう本当に優秀でした)動くことなく終わりました。

 さて復活した水曜定例学童訪問に臨むにあたり、私は二つのことを心に決めていました。一つは全学童に赴くこと。当たり前っちゃ当たり前のことではあるのですが、学童の子どもたちは3年間の間、あかとんぼの訪問を体験していないわけです。1~3年生はあかとんぼのことを「クリスマスの時期にプレゼントを贈ってくれる人たち」ぐらいの認識しかできていないでしょう。4年生にとっては「1年生のときに学童にきて遊んでくれたお兄さんお姉さん」という思い出があります。私は1年次の春秋訪問を通して全ての学童を一通り経験していました。つまり行ったことのある学童には「あかとんぼのみすたーのことを覚えている4年生」がいる可能性がある、というわけです。また、クリスマスプレゼントを贈った際、いくつかの学童からお礼の手紙が届いていたこともありました。中にはあかとんぼの訪問を経験していないにも関わらず(2020年からあかとんぼ管轄になった学童で、コロナが被ったため訪問経験がないということです。もしかしたら以前どこかで書いているかもしれません)お礼をしてくれた恩がある学童もあります。そういう学童には是非訪問して直接お礼が言いたかったのです。とまあ色々考えてみると、復活した学童にすべて訪問する、ということは自明の理であるわけです(別に義務感を持っていたわけではないです)。

 そしてもう一つは「自分が軸にならなければならない」ということです。3年間空いてしまったがゆえに、今までの学童訪問を知っているのは我々4回生だけ。後輩達を引っ張っていく必要があります。毎回参加をする以上、あかとんぼの屋台骨となって皆を導く責任がある、と考えたわけです。しかし私も学童訪問は1回生の時のみの経験。いくら回を稼いでいたとはいえ先輩方に守られながらやっていた事実に変わりはありません。果たして自分に偉大な先輩方のような真似ができるのだろうか‥‥?という不安は少なからずありました。

さて復活した学童訪問ですが、今まで経験してきたものとは少なからず違う部分もありました。特に大きかったのは学童当番が各学年に居たこと。例年は春が2・3回生、秋が1・2回生という形態をとっていましたが、この22秋学童では原則各学年から一人ずつ、合計4人で当番を回す、という形をとっていました。動かし方は指南役となる4回生の性質によってまちまちで、指示だけ出してほぼすべてを下級生にやらせる者もいれば、自分がやっている姿を下級生に見せて、大枠を理解してもらおうという者もいました。私は後者でした。

また、訪問先での行動も結構様変わりしました。やはり全体で集まって何かしらの活動をする、という形態がとれない学童が多く、あかとんぼメンバーが各教室へわかれ、そこでプログラムを行う、という形態がとられました。このことによって多くのメンバーが紙芝居、ゲームを経験することができるという利点がありましたが、致命的な欠陥として「人形劇が全くできない」というものがありました。事実ほぼ毎週学童訪問があったのにも関わらず、人形劇を持っていく機会が2か月弱空く、ということもありました。あとはおやつの時間に話す、ということができなかったり、子どもに触れることが今まで以上に制限されたり…と色々な制約がありました。

なお人形劇が中々できないことについて、文化の継承ができないのではないかという焦りが少なからずありましたが、そこはなんと公演によって解決していました。今までの公演は子どもたちと関わるのがメイン、プログラムと言えば紙芝居やゲームがメインだったのですが、商業施設や関大のイベントに呼ばれた際は、一種のパフォーマンス集団として大々的に人形劇の公演を行っていました。

私はそのような公演の実施については割と懐疑的であり(あかとんぼはあくまで子どもたちのためのサークルであり公演なのだから、活動範囲は学童や児童館ぐらいにとどめるべきである、と考えていました。また我々はプログラムのプロ集団でもありませんから、プログラムオンリーの公演をするのは烏滸がましい、という姿勢をとっていました)実際あまり参加していませんでしたが、それらでプログラムの経験を積んでいく姿を見ると、案外こういうのも悪くないのかなあ…と思うなどしていました。まあそれで対学童が疎かになってしまってはいけないのでバランスが大事なのだろうな、ということです。あと地域でのガチプログラムオンリー公演は、その開催場所的にOBOGが来やすい、ということで実際に何人かお越しになって現役メンバーとの交流を深める、ということができたのも良ポイントです。これについては事前に活動予告をSNSにアップしており、それを見て駆けつけてくれた、という形のようです。やはり持つべきものは偉大なOBOGです(今日そればっかだな)

 

と言うわけで今回はここまで、次回は4年秋。学童&チルコン。

なお現在の予定ではあと3回で完結です、

グッバイみすたー⑪

前回の続きです。代表任期満了。2022年の到来です。

 

年があけてまずやることとしては役職のしっかりとした引継ぎになります。

代表引継ぎ業務ですが大きくまとめて以下のものがありました。

・顧問の教授との顔合わせ

・ボラ団引継ぎ会議

・代表副代表おしごと説明会

 

顧問の先生との顔合わせは例年四月、年度の活動申請を提出するときに行います(活動申請の際に顧問作成書類を受け取りにいくためです)。先年度はコロナで大学対面授業がまた止まったこともありよくわからない時期にやりましたが、22年度は無事4月におこなうことができました。顧問と顔合わせすることなど本当にこれだけなので少しばかり緊張しますが、肝心の面会は数秒で終わることもザラなので大したことはないです。

ボラ団引き継ぎについては年(というか猿山の担当者さんや学生スタッフの手腕)によってそのクオリティが違い、先代→弊代のときは対面で結構しっかりやりましたが弊代→次代の時はオンラインでざっくりとやっていました。対面開催の時は各団体が活動の説明などを担当するため大変そうだった(なおあかとんぼは例年最初のアイスブレイクを担当し「船長さんの命令」をやっていた)のですが、この時はとくに出番はなく、ただオンラインで話を聞いているだけで引継ぎが終わりました。というかあの会僕出席しなくてもよかったよな…?

最後に代表副代表おしごと説明会。我々は資料を簡単につくった(というかほぼ去年のやつを横流しした)うえでLINE通話で説明しながら引き継ぎ、という手法をとりました。話自体はオンラインで片付くのでいいですが旧幹部と新幹部の密な関係を構成するなら対面、BOXでやってその後ごはん食べにいくってぐらいが資料もあるしで丁度いいと思います。

代表引継ぎ、割とあっさりめにやったような気がします。やろうと思えばしっかりとした資料を作ることもできた(なお次代は本当にしっかりとした資料を作ったらしい、やはり代表というものは偉人である)のですが大したことやってないしコロナ禍明けたらまた体制がらっと変わるしでそこまでする必要もないかな…と思っていたからです。なによりその時点で新幹部とはやたら仲良しになっていましたからね。何かあったら聞いてくれるだろうしその時に個別で答えればいいや、と思っていました。実際ちょくちょく相談事には乗っていました。

先の記事でも述べましたが、前年末から私は後輩たちとの関わりを増やそうと躍起になっていました。初期の頃は割と頑張って話しかけていましたが、予想を遥かに超える懐かれようであり(某学童バイト等で後輩に会う機会がめちゃくちゃ多かったのが要因のような気がします)、この頃には義務感もすっかり消え自然に楽しく大騒ぎしていました。俗に言うみすたーちるどれんはこの時期には既に成立していたと言えるでしょう。

 

というわけで本格的に新体制になったというわけなのですが、私は自身の身の振り方を今一度考えなおす必要があるな、と考えました。それまでは代表ということもあり、好き放題前面に出て大騒ぎしていたのですがこれからは先代表として新体制を支える立場、あまり前面に出ない方が健全なサークル運営のためにはいいだろうな、と思っていたからです。それはそれとして活動に行かない、という観念は一ミリも持ち合わせていなかったので、「いつも活動にいて、とはいえ前に立つこともない最強の数合わせ要員」というのを理想として、活動に取り組もうとしていました。この当初は。

しかしその理想は、あまりにも早く夢物語であることに気づかされることになります。3月初旬、2年ぶりに復活したあかとんぼカーニバル(節分は人数制限のため行けなかった)。出しゃばらないように後方から写真撮影に徹しようとした私が目撃したのは、どうしていいか分からず自分から動けないでいる下級生と、それにイラつく上回生の姿でした。実際その時の反省会は結構辛辣な意見が飛び交いました。

 よく考えたらこれまた当然のことです。いくらチルコンを乗り越えたとはいえ、外部での対面活動は経験がない1・2回生。新体制になろうが委員になろうが、経験値でいうと一回生の最初の時期となんら変わりないわけです。一方上回生は豊富な経験がしっかりと残っており、さらに偉大なる先人の姿を見てきたことから「各種公演では一人一人がこんな感じに動くんだ」というものを割と一般常識なものとして捉えてきた(これについては私もその傾向がありました)ため、言ってしまえば「当たり前のことができない」ことに対して不快に思うのも仕方ありません。特にもうすぐ団を去ることになる4回生からすれば、自分たちが居なくなった後大丈夫か、とこの後の団全体について心配してもおかしくない、そんな状態でした。

 これはかなりまずいことになるかもしれない、と思いました。下級生は経験がない状態。これは誰が悪いわけでもないし仕方のないことです。とはいえ前面に立たせるのは流石に荷が重すぎるため、当面は上回生が主軸として動いていって、下級生に「こうあるべき姿」を見て会得させていく必要があります。

この時点では卒論をも終え本当に自由になった当時の4回生がいるとはいえ、彼らの卒業も秒読み段階。そこから先は弊代が唯一の「コロナ前の活動を知っている代」として、下級生たちを引っ張っていく必要があります。しかし我々もこの時期は絶賛就活真っ最中。動けと言われても中々難しいわけです。思い返せば私があかとんぼに入団した4月当初も、4回生はほぼほぼおらず、2回生3回生が主軸となって活動していました。つまりこの先春になった際、「引っ張っていけるだけの経験組がまったく存在しないうえでの活動」がおこる可能性があるわけです。

 この件における私がとれる解決策はただ一つ。主戦として活動に参加しまくることです。幸い私は教職勢、教育実習&試験こそ控えますが、全国津々浦々を練り歩き就活に勤しむわけでもありません。勉強や準備もありますがそんなものは活動時間外にやればいいだけのことです。そして私は(五児文こそ経験が薄いですが)1回生の時しっかり活動に参加し、模範となる先人の姿を目に焼き付けています。長らく続いているあかとんぼの伝統を後輩たちに伝えるために、そして各種訪問・公演の復活を待ちわびる子どもたちのために、ここから先の活動、特に弊代の参加者が見込めない際はなんとしてでも参加するようにしよう、そしてしっかり前に立って他のメンバーを導ける存在であろう、と考えを改めたのでした。まあそんなこと考えなくても活動にはほぼほぼ参加していたとは思いますが…。

 

 身の振り方を考え直したところで取り敢えずは血の入れ替え、卒製&新歓です。卒製においては私もお客様ということで、贈呈花関連でちょっと働いたこと以外は特に何もせず普通に楽しみました。求められた時のために送辞は一応したためておきましたが時間がなかったため世に出ることはなく終わってしまいました。残念。

 そして新歓。新歓実行委員(結局はサルによる烏合の衆)主催の合同新歓は参加ませんでしたが(例のメディア錬成団体が新歓で人員確保しないと団消滅の危機だったためそちらに行きました)、独自の花見新歓(なお時期的にまったく花見にはならなかった)、そして確定新歓にはしっかり参加しました。確定新歓では久しぶりに名付け親になったり(3回生の時は総合司会で忙しかったためか名付け親になることはありませんでした)、花見新歓では唯一の4回生としてやたら多かった新入生男子連中と戯れたりと中々楽しく過ごせました。特にここ数年は男子の獲得状況が芳しくない状態が続いていたので嬉しかったですね。

結果としてあの年は入団数が20を超えるというとんでもない快挙を成し遂げました。新歓等の手際も良かったため、「新幹部…さてはすごく優秀だな…?」といたく感動した記憶があります。ひとりひとりが絶妙に異なる信念を持ち、勝手に働きまくって結果を残していた弊代と違い、新幹部は幹部一同でものごとを考え、動くという特徴がありました。議論を重ねものごとを決めていったことで、道を踏み外すことなくしっかりと足元を固めていってくれたように見えました。

 

というわけで今回はここまで。次回は4年夏~秋、学童復活です。

近況報告23秋

毎度おなじみ自分用近況報告です。

 

①労働&勉学編

 

特に可もなく不可もなく労働しています。最近は毎週のようにクソデカ事業があり、なかには絶妙に中枢を担うものもあるので割とエネルギッシュに過ごせているなーとは思います。暇すぎて業務中にブログ書く、ということもなく、かといって残業するほどでもないので丁度いいといえるでしょう。すばらしいホワイト企業と言えます。

また、そろそろ翌年度どうするかの決断を迫られているのでどうしようかなあ…と思っています。大阪府くん仕事がほんの少しほど遅いのよ…。

業務の一環というわけではないですが漢字検定2級を先日個人で受験しました。楽勝と言うわけではないですが絶望と言うわけでもないというのが感想です。漢検対策、四字熟語などはもちろんですが書き取りなどにおいても知らない言葉がちょくちょく出てきたりするので手っ取り早く教養を深めるのにお勧めですよ。

 

② ゲーム編

久々に本業、ポケモンの熱が帰ってきました。やっぱりDLCの存在はありがたいものです。まーるで勝てていない(勝敗差+10~15のところを永遠にいったりきたりしています、勝負を重ねるたびにだんだん勝率が下がっていくので心が壊れています)ので誰か助けてください。あと努力値餅もうちょっと手に入るようにして?

ここから先の季節はやりたいゲームが多くあるので困っています。私は大のDQ4大好き人間なのでモンスターズ3はやる義務がありますし(体験版で初めてDQMに触れました、これつまりポケモンだな?)、マリオRPGもぜひやりたい、そんなこと言っていたらポケモンのDLC第二弾がやってくる…ということでたいへんです。まあ全部やるんですけどね。

偉大なお兄様たちとも色々遊んでいます。先日は結構な大人数でMinecraftのエンドラ討伐RTAごっこをしたのが楽しかったです(学童の終わりの会並の感想)。相変わらずアクションが苦手なので武勲面ではカスもいいところですが内政面ではそれなりに活躍することができました。なんとなーく効率良い動き方も理解できたような気がするので機会あればまた誘ってください。相変わらず農業と交易と拠点整備ばっかりやってると思いますが…。

 

スマホゲーは相変わらずプロセカメイン。夏頃は豪運でしたがそれもいよいよ尽きてきました。そろそろ推しの限定が出てくるということになっておりますので戦々恐々としています。機種変(後述)したため他のゲームもやろうと思えばやれるのですがいかんせん時間が足りないんですよね…。(大体ポケモンが悪い)

あとポケモンスリープも真面目にすやすやしています。当初は睡眠記録オンリーでやってたのですがいざやりこんでみると楽しいですね。当面は第二進化ポケモンを入手することを目標としてやっています。あとヒノアラシほしい。

そういえば夏に人狼企画があったような気がしますが雲散霧消していますね。そろそろやりたいのでそのうち勝手に企画をおっぱじめる可能性はあります。この先のみすたーさんに期待しましょう(叶わなそうな思い)

 

③その他諸々

有識者兄貴の助けを借りながらスマホを買い換えました。Iphone15です。今まで使ったのが10Rだったこともありだいぶ快適になりました。今まで某音ゲーでマルチやってたら軽量モードだろうがカクついてそのたびにコンボが途切れていたのですが、今ではMV流しながらでも快適にプレイできています。かがくのちからって、すげー!

 

・色んな所に誘われてそれにホイホイ乗った結果、今年中に少なくとも三回京阪神に行くことになっています。対戦よろしくお願いします。どのイベントも相当楽しみなのですが、特に年末に行く初音ミクシンフォニーは今までにない試みなためわくわくしています。よく考えたら僕生のオーケストラのコンサートには赴いたことがなかったんですよね…。

 

・夏休みは暇だったのでブログ書きまくっていましたがそうもいかなくなったので執筆頻度がまあまあ下がっています。グッバイみすたーは今年中に(なんなら次の幹部交代までに)書き上げたいという願望はあるのですがまあまあ厳しいような気がします。

なお内容について某所にあらぬ疑いを生ませてしまった、と言う話を聞いております。次回釈明します。

 

・先日ようやくブログ化された某企画ですが、第二弾の実施の可能性が微粒子レベルで存在するようです。GMによると「どれだけ早くても来年度」ということです。参加者が集まるかどうかは知らん。

 

・今期は久々にリアルタイムでアニメを見ています。「薬屋のひとりごと」です。履修は全国民の義務とされていますので皆様是非原作ネット小説、文庫本小説、漫画二種とともにご覧ください(意味不明だが本当に色んなコンテンツが展開されているのである)。

 

・余裕のあるうちに資産運用に手を出そうかな…などと考えています。正直わけがわかっていない部分が多すぎるので有識者いましたら助けてください(土下座姿勢)

 

今回は以上です。自分の行いを言語化すると良い振り返りになるのでいいですね。